手を伸ばせ、北辰へとー「このハゲー!」パワハラ女性議員に想う。

数パーセントのアップはやむを得まい。

とある一室で、男は深くため息をついて天を仰いだ。

これから来るであろう不毛の時代を数年先伸ばしにするだけかもしれない。

だが数パーセントアップすることで、再び豊かな青春の日々を取り戻せる可能性があるのなら、やってみる価値はある。

そう決意し、男はパソコンのエンターキーを叩いたのだった。

 

ここ数日、某女性議員の秘書に対する暴言のニュースが話題だ。

怖いからまだ生声のデータは聞いていないが(なにもわざわざ自分から気分が悪くなる行為をすることもない)、男性の秘書を物凄い勢いで怒鳴り「このハゲー!」と罵倒するのだという。徳のないことである。

 

他人の悪口の中で、身体的特徴をののしるのはよくない。自分の意志でどうこうできないことをあげつらうのは最低の行為で、男性の禿頭の悪口はその筆頭である。

「ハゲをからかってはいけない」と男性がたしなめるとこんなことを言う女性がいる。

「なんでダメなの?ハゲでもカッコいい人いるじゃない、ブルース・ウイリスとか。私好きよ、ブルース・ウイリス」。
そりゃあブルース・ウイリスはカッコいいが、ハゲの男性が誰でもテロリストを倒したり隕石から地球を守れるわけではない。テロリストを倒せないハゲや隕石を破壊できないハゲはどうしろというのだ。ハゲが登場するたびにエアロスミスが「I don't want to miss a thing」と歌ってくれるのならいいが、エアロスミスはそこにはいない。多くのハゲは一人さびしく「I don't want to miss a 毛髪」と心の中で歌っているのである。

ここまで言ってもわからない女性にはこう言えばわかっていただけるだろうか。

男性のハゲ問題は女性のスキン問題と同等である、と。

 

テレビや雑誌のヘルスケアCMを目をこらしてよくご覧いただきたい。そこにあふれるのはなにか。男性向けの育毛・発毛関連と、女性向けの肌関連の商品だ。極論すれば、それ以外ない。

これを使えば抜けない、生えるという商品と、これを使えば肌がきれいになるという商品が何千億円ものお金を動かしている。

そのくせそうした商品を使用し必死でヘアケア、スキンケアしている人たちは髪や肌をほめられたら必ず言う。「若々しいって?ありがとう。でも別に特別なにもしてないんだけどなー、普通に洗ってるだけだよ」。嘘つけ。なにが髪は長ーい友達だ。

 

世の女性陣に告ぐ。

薄毛の男性にうかつに「大丈夫?髪、薄くない?」と言ってはいけない

なぜなら、男性のヘア問題は女性のスキン問題と一緒だからだ。男性は自らの毛を、女性は自らの肌を守るのに手間も金も惜しくない。

もし女性に対してうかつに「大丈夫?肌、汚くない?」と声をかけてくる男性が居たら、ブチ殺されても文句は言えない。

大事なことなのでくりかえし述べておく。女性のスキン問題と男性のヘア問題は一緒だ。毛問題は、無問題とは違うのである。

少々長くなった。

薄毛の男性に対して「このハゲー!」となぜ言ってはいけないかについて冷静沈着に論理的に述べてみた。一人の社会人として見過ごすことのできない問題だからである。あ、もちろん他人事ですけどね。

 

「子曰く、まつりごとを行うに徳をもってするは、たとえば北辰その所に居りて衆星これにむかふが如し」と孔子は言った(論語 為政篇)。まつりごと、政治を行うときに、力や暴言ではなく、徳をもって行えば自然と人は集まってくる。それはまるで天空の北辰ー北極星ポラリスーが自ら動かずとも、ほかの星々が北辰を中心に集まるようなものだ、という意味だ。

 

暴言女性議員がどうなろうと、それは選挙区の人々が考えるべきことだ。その選挙区の代表として国政に送り出すのがふさわしいと選挙区の人々が思うのならまた投票すればよいし、そうでなければ他の人に投票するだけのことだ。

だがやはり、まつりごと、政治にたずさわる方々にはやはり、徳を高め、北辰ーポラリスーを目指して欲しい思う。

「このハゲー!」とののしる前にののしられる前に、手を伸ばすべきはポラリスだ。できればそれも、リアップより数パーセント濃度をアップした5パーセント以上のものがよろしいと思う。

 

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Logic-hood's end/クラークふたたび、あるいはAIがもたらす論理の死

SF作家アーサー・C・クラークはかつてこう言った。

「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない/Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic」

こんなところでクラークと再会するとは。

2017年6月16日のNHK解説委員室では、将棋プログラム「Ponanza」の開発者である愛知学院大学特任准教授 山本一成氏が「人工知能と黒魔術」というテーマで語っている。

「人工知能と黒魔術」(視点・論点) | 視点・論点 | NHK 解説委員室 | 解説アーカイブス

この中で、山本准教授は<(略)人工知能の性能を上げるほど、なぜ性能が上がったのかを説明できなくなっている>と言う。
山本准教授はこう続ける。
<Ponanzaは私が開発したプログラムなので、細部まで私が考えて作っています。しかも私は、将棋プログラムという狭い領域のことなら、世界でもトップレベルによく理解しています。それでも、Ponanzaはすでに理論や理屈だけではわからない部分が沢山でてきています。
「プログラムの理論や理屈がわからない」とは、たとえばプログラムに埋め込まれている数値がどうしてその数値でいいのか、あるいはどうしてその組み合わせが有効なのか、そういったことを真の意味で理解していないということです。>

将棋プログラムの開発者ですら、なぜそのプログラムが有効なのか論理的に理解できない部分がある、というのだ。非常に有効だがなぜ有効なのか、どのような論理で有効なのかわからない部分を、人工知能AIの開発者たちは「黒魔術」と呼ぶという。

 

イギリス『エコノミスト』誌が編集した『2050年の技術 英『エコノミスト』誌は予測する』(文藝春秋 2017年)の中で、ケネス・ツーケルがこんな指摘をしている。
<二〇五〇年までに世界は、効率性と引き換えに因果関係の理解をあきらめることに慣れていくだろう。>(上掲書kindle版 4027/4925)

ツーケルが挙げた例のひとつはコンピュータを使った病理診断である。

 

ツーケルによれば、ハーバード大学のチームはコンピュータ・ビジョンと機械学習プログラムによって乳がん細胞の病理組織からがんの発症を予測できるか調べた(kindle版 3885/4925)。

<生検材料に癌が潜んでいるかを判断するのにアルゴリズムが使った一一個の属性のうち、細胞そのものに関連するものは八個だけだった。あとの三個はそれを取り囲む「間質組織」に関するもので、医師は注目していなかった。つまり、医師の目には見えなかったものが、膨大なデータの分析によって発見されたのである。>

 

病理組織と患者の生存率の膨大なデータを読み込むことで、なんらかのパターンを機械学習プログラムを発見した。そのパターンをどんどん応用することで診断精度を上げていったわけだが、そこには通常の論理、ロジックというものはない。
人間の病理学者の場合には、病理組織と患者の予後についてなんらかのパターンを見つけ出した場合には、因果関係について仮説を立て検証する。どんな理屈やメカニズムがそこに働いて病気を引き起こしているのか、論理を追求し、応用可能なエッセンスを抽出する。

論理こそ人間が人間たる由縁だと近代的人間は考える。論理や因果関係を把握できるのは人間の強みだと思っているのだが、AIからすれば論理や因果関係というのは膨大なデータを迅速に情報処理できないという人間の弱みの裏返しに過ぎないのかもしれない。
膨大なデータをありのままに瞬時に、そして疲れを知らずに延々と情報処理できるのであれば、世界を理解するのに論理は不要なのだ。

 

医療や法律、人事や教育といった分野でどんどんAIが活躍していく。そこで行われる判断は、人間よりもはるかに正確で、成功率が高いものとなる。だがそこに論理はない。ただ単に、ポンと成功率の高い答えのみが与えられる。

AIが下す答えは論理的思考の結果による解答ではなく、「ご神託」とでもいうべきものとなる。

論理と合理性の近代を過ごした人類は、ロジックの塊に見えたAIによって実は論理を奪われていく。

近代を越えた超近代は、一方の極にAIを、もう一方の極に宗教的原理主義を置いて、そのはざまで論理と合理性を蒸発させ、黒魔術と「ご神託」で作られていくわけだ。どえらいことやで。

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100年残る大仕事(R)

もしも願いがかなうなら、100年残る仕事がしたい。かつて密かにそう考え、今でも実はそう思う。
けれども現実はなかなかに大変で、日々目の前の出来事をこなすのに精一杯である。
現実の生活に喰い殺されかけながら、昔読んだ小説で出てきた「jaws of living」なんて表現を思いだしたりもした。翻訳された文章では「生の顎(せいのあぎと)」なんてよく分からない訳でお茶を濁していたけれど。

 

正直、子どもが出来て大変さは増えた。
 <30歳になれば、君の生活は妻子のものになる>、『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』(新潮文庫 H6年 p.34)でキングスレイ・ウォード氏はそんなふうに警告していたが、残念ながら僕がその本を手に取ったのは30歳をずっと過ぎてからだった。

 

人生のでっかい顎にガリガリとかじられながら、子どものオムツを換えたりしていると、このままでよいのかとウツウツもんもんイライラしたりもした。

 

そんなある日、泣いている我が子を抱っこしながらふと気がついた。
「こいつが長生きしたら、22世紀まで生きるんだな」。
なんのことはない、100年残る大仕事は、自分の両腕の中に居たのである。
この子をきちんと育て上げることも、ひとつの「プロジェクトX」だったのだ。

 

そこまでの心境に至るには、友人で子育てライターのO君との再会や、子育て業界の大立て者、ロックな兄貴のAさんとの出会いなどがあったんだけど、それはまた別の話。
(FB2013年6月13日を再掲)

 

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稲田朋美防衛大臣「容姿」発言はなぜ問題か。

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シンガポールの会議での稲田朋美防衛大臣発言が物議をかもしているとのこと。
檀上のフランス、オーストラリアの女性大臣について「私たち3人には共通点がある。みんな女性で、同世代。そして全員がグッドルッキング(美しい)!」とスピーチしたそうな。

公式な場で容姿を云々するというのは非常にデリケートな話で、もしジョークにするなら相当の手練れでないと危険だ。古い例だがミッテラン元フランス大統領かベルルスコーニ元イタリア首相クラスでもギリギリ「エロじじい、しょーもない」という苦笑にもっていけるかどうかレベル。
公式な場で「私たちグッドルッキング」なんて発言すると、他人を容姿で判断する人物、特に女性を容姿で判断する人物ととられかねない。一言で言えば、「女性差別的」。

 

なぜこの「容姿」発言が問題かというと、性別、年齢、容姿という外的要因は原則として自分の力でなんとかできないものなので、自分でなんともできないものについてああだこうだいうのはアンフェアなのだ。たとえそれが賞賛であってもである。「ほめ殺し」なんて言葉もあるくらいで、賞賛は容易に攻撃に転じ得る。
あとですね、生まれた環境(実家が裕福だとかそうでないとか)、肌の色、出身国や出身地という自分の力でどうこうできないものを公式の場でどうこういうのは上品ではない。
それに対し、努力、勤勉さ、能力の高さなどは自分の力で変更できるとされているものだ(橘玲氏は反論するだろうが)。なので、そこに言及するのは不作法ではない。

 

日本社会は男性社会、もっと言えばオッサン社会で、「若い女のコ」がちやほやされる。
その中でのし上がってきた女性の中には、意識的にか無意識的にか「若い女のコ」ポジションをとりにいってオッサン社会の中で有利に立ち振る舞う人もいる。

自衛官が命を賭して身を捧げる安全保障の現場の視察にパステルカラーのスーツをチョイスし、一昔まえの芸能人のような馬鹿でかいサングラスをかけていくようなセンスというのは、「若い女のコ」ポジションで長年やってきたことを感じさせるがどうでしょうか。

 

日本のマジョリティーが女性のことを容姿しか見ていないオッサン社会であることは、女性が話題になるとなんでもかんでも「美人なんとか」と評されることでもあきらかである。「美人女将が案内する名門旅館」「美人秘書が明かす会社の秘密」とかなんとか、すべて内面の話ではなく外面の話ばかりだ。そうした「美人なんとか」というレッテルを発する側も受け取る側もそれをよかれとしてきたからこそ今もそれが続いている。


その昔、雑誌の見出しで「美人OL首なし死体」というのまであったという。どうやって美人とわかったのかは、いまもなお謎のままである。

 

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ヌーボー・リッシュ的権力の使い方とは何かー義家弘介文科副大臣発言に想う。

「フフ……へただなあ、ヨシイエくん。へたっぴさ……!権力の使い方がへた……!ヨシイエくん、ダメなんだよ…そういうのが実にダメ…!」

ぼくのなかのハンチョウがささやいた。

6月13日配信の朝日新聞デジタルによれば、義家弘介文科副大臣自由党森ゆうこ氏の質問に対し、<「一般論」と断った上で、「告発内容が法令違反に該当しない場合、非公知の行政運営上のプロセスを上司の許可無く外部に出されることは、国家公務員法(違反)になる可能性がある」と述べた>という。

お金の使い方にうまい下手があるように、権力の使い方にもうまい下手がある。

一代で財を成した成功者がお金の使い方が下手だと「成り金」とカゲグチを叩かれる。横文字だとヌーボー・リッシュ/nouveau richeとか言ったりしますな。
お金の使い方があまりに露骨で、まわりの人に「俺は金もってるぜ!」とアピールしまくるようなのはそうやってバカにされる。

昔っからお金持ってる人ってのはもうちょっと抑制的に、人に見えないように使うものだ。なぜなら、おおっぴらにやると叩かれるのわかってるから。だから昔っからの金持ちってのは目立たぬように息を殺していきているってわけで、そういうのをノー・ブレス・オブ・リッチ/no breath of rich(金持ち息をせず)という。嘘だけど。

 

さて、急激にお金を持ってしまった人がお金の使い方を知らないように、急激に権力を持ってしまった人も権力の使い方を知らない。

自分が権力を持つ状態に慣れていないし、そうした状況が誇らしいもんだから、周囲に直接的に権力を見せつけるようなふるまいをしたりする。もしかしたら成り上がるまでに経験した辛酸や屈辱を晴らすようなルサンチマン的なところもあるのかもしれない。

でもね、それやると敵を作ったり足元すくわれたりするんですね。

ヌーボー・リッシュ的権力の使い方をしてしまうのはなにも個人だけではない。

以前に航空自衛隊のエラい人が勇ましすぎる論文を発表して問題になった。政府の公式見解と違う主張をしたというので任を解かれた。その後そのエラい人は自治体の長、首長選挙に出たりしてご活躍されたのだが、件の論文が出たときに僕は外交に詳しい友人に聞いてみたことがある。

陸上自衛隊海上自衛隊のエラい人は叩かれるような発言をしないのに、航空自衛隊のエラい人はときどき“勇ましすぎる”ことを言って叩かれたりするけどなんでなの?」
友人の説はこうだった。

陸上自衛隊海上自衛隊には、旧日本陸軍旧日本海軍時代の苦い思い出と経験があるから、力の見せ方・使い方に非常に慎重で抑制的なんだよね。航空自衛隊は戦前の前身がないから、よく言えばのびのびと、悪く言えば自分の言動が外からどう見えるかに無自覚なところがある」
友人の説がほんとかどうかは知らないが、一理ある気もする。

文官組織にもそうしたヌーボー・リッシュ的権力の使い方をしてしまう例がありそうだ。
2014年に設置された内閣人事局なんかもそういうところがありそうで、急に力を持つとその力を見せつけたがったりするのは人間のサガなんだろう。

昔っから権力を持ってる役所はたぶんもっと巧妙に洗練されたやり方でやる。
まったくもって想像だが、もしぼくが財務省のエラい人だったら敵対するような政治家のところには、何日にも何日にも渡って税務署を送り込んで帳簿の調査をずーーーーっとやって、なにかしらマズいところを見つけ出したり通常業務をストップさせたりするかもしれない。税金の調査は大事だからご協力願いたい。

 

また、「アメダマをしゃぶらせる」ようなやり方もあるかもしれない。
自分のところの省の政策に批判的な民間人がいたとする。舌鋒鋭く世論への影響も出始めたら、その民間人を取り込んじゃうのである。
省として正式に抗議・反論したり、圧力かけたりするとそうした反抗的な論客というのはかえって燃え上ってしまう。だから、なんらかの調査会や諮問委員会をでっち上げて、「ぜひとも先生のお知恵をお貸しください」なんていってその論客をそこの長に据えてしまう。で、半年とか一年とかそうした調査会や諮問委員会の仕事で忙殺させてうるさい口をだまらせるのだ。たぶんね、張り切ってやってくれる。
半年から一年もすれば世論もその論客のことなんか忘れてしまうから、レポートが出来上がったころにはその論客の影響力はなくなっている。出来上がったレポートは丁重に頂戴して大事に大事に役所の書庫の奥底にしまい続けておくわけだ。
まったくの想像ですけども。

さらに長年に渡り権力の使い方に習熟してくると、自分が権力をふるわないでも権力を発揮することができるようになる。

もっとも洗練された権力の使い方はもちろん、周囲に勝手に忖度させるような持って行き方で、そこまで行くには一代ではとても無理、何代にもわたって権力の座にあった者だけが到達できる達人の域である。

…と、そんな夢を見たところでぼくは目を覚ました。今日もまた朝が来た。
さわやかな一日のはじまりですね!今日も笑顔で張り切っていきましょう!

 そんじゃーね!

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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ルタバカ・サウダージ(R)

診察室で、その人は言った。
「じゃがいも。とうきび。…ルタバカ」。
仕事柄、ひとから毎日のように野菜の名前をきく(本当)。
診察の一手法でそういうのがあるからだが、ルタバカというのは初耳だった。

 

「いやだわ、お父さんたら」
付き添いの妻がそう言う。
「…息子に呼ばれてこっちにくるまで、北海道にいたんですよ。
もうずいぶん前にやめちゃったけど、農業やっててね。
ルタバカってのいうのはカブの仲間の根菜で、おおむかしの家畜の餌でね。
今はぜんぶ輸入の飼料に変わっちゃったけど、昔はルタバカをたくさんトラックで運んだりね。
いろいろ忘れちゃうけど、昔のことって覚えてるのね」

 

そんな話を聞くとぼくは少しだけ胸が締め付けられるような何とも言えない気持ちになる。
人も社会も進歩していくべきだと思うけれど、それでもなお、いやだからこそ、こうしたもう決して元に戻ることのない過去の出来事や話は心に突き刺さる。
もう完全に終わった話というよりは、今ともつながっている昔という過去完了形みたいなモノゴトは、切ないような悲しいような、自分自身が経験したわけではないのに懐かしいような不思議な感情を胸に呼び起こす。


何年も前に閉店したのに、ガラス扉越し中途半端に閉じたカーテンの間から古いアイスクリーム用の冷蔵庫の端がいつまでも覗いている駄菓子屋なんかの前を通るときもそんな切ないような悲しいような懐かしいような、一言で言い表せない気持ちになる。
切ないというにはもうちょっと柔らかく、悲しいというにはもうちょっと明るくて、懐かしいというにはもうちょっとからっとしている気持ち。


もしかしたらこれが、ブラジル人たちの言う「サウダージ」という感情なのかもしれない。


(*シチュエーションなどは実際のできごとと一部変えてあります。FB 2014年6月23日を再掲) 

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