救急車有料化を考える(再掲)

救急車の出動件数が増え続けていることを背景に、救急車有料化の議論が医療機関以外でも広まってきた。
ごく一部の心ない市民がタクシー代わりに救急車を利用しているため、医療機関内では昔から救急車有料化すべきだという感情が多数派を占めるように思う。

この問題に関して2つはっきりと知りたい点がある。
まず受益者負担の理屈が有効なのはどこまでかということ。

救急車を社会的インフラととらえた場合、社会的インフラ利用に受益者負担をもとめるならば、警察や消防、極端に言えば自衛隊はどうするのか。
泥棒に入られて捜査してもらうのに経費の一部負担を求められたら大変だ。
消防車出動に、料金に応じて松竹梅とかあったらやだなあ。
早めの到着はレア、遅めの到着はウェルダンとかね。
他国が攻めてきて自衛隊の出動を要請したら、「料金かかりますけれどいいですか?」「トッピングで地雷はお付けしますか?」とか聞かれたりして。
真面目な話、警察や消防、自衛隊の場合には受益者は直接の利用者だけでなく地域や社会、国全体というロジックで救急車有料化とは別物、ということになるのだろうか。

もう1つ知りたいのは救急車有料化による利用者の規範と行動の変容である。
マイケル・サンデルがこんなことを書いている。
<(イスラエルの)それらの保育所はよくある問題に直面していた。ときどき、親が子供を迎えにくるのが遅くなるのだ。親が遅れてやってくるまで、保育士の一人が子供と一緒に居残らなければならなかった。この問題を解決するため、保育所は迎えが遅れた場合に罰金をとることにした。すると、何が起きたと思うだろうか。予想に反して、親が迎えに遅れるケースが増えてしまったのである。
(略)お金を払わせることにしたせいで、規範が変わってしまったのだ。以前であれば、遅刻する親は後ろめたさを感じていた。保育士に迷惑をかけているからだ。いまでは迎えに遅れるあいだ子供を預かってもらうことを、自分が支払い意志を持つサービスだと考えていた。罰金をまるで料金のように扱っていたのだ。保育士の善意に甘えてあるのではなく、お金を払って勤務時間を延ばしてもらっているだけなのである。>(『それをお金で買いますか』早川書房p98-99)

救急車有料化によって、「お金を払ってるんだからタクシー代わりに使って当然」という人が増えることは十分あり得るように思われるがいかがなものだろうか。

(FB2015年8月19日を再掲)

 

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