Utopia, Ist das Ende?

部屋の整理をしていたら古い雑誌の切り抜きを久し振りに発掘した。今は亡きミヒャエル・エンデのインタビュー記事である。

記事が載っている雑誌も今は無きPlayboy日本版で、1992年2月号。

 

インタビューが行われた時期はちょうど日本でバブルがはじけたあと、世界では共産主義国家が次々と崩壊していったころである。

そんな不安定で物事が変わっていく時代の中でエンデは、<ポジティブ・ユートピア>の必要性を説いている。
<現状を批判的に検討することは確かに必要です。しかし、それだけでは足りません。間違った状態から脱出するためには、脱出する先のイメージをも生み出していかなければなりません。現状批判がネガティブなものであり、多くの場合、意気消沈させるのに対して、行き先のポジティブ・ユートピアのイメージは磁石のように人間を引きつける力を持っているのです。>(上掲書p.32)

エンデは、文化と法律と経済は互いに独立した活動であると述べ、それぞれを自由、平等、博愛に基づく活動だと言う。

すなわち、文化的活動は民主的なものではなく貴族的なもので(<だれが最高の数学者で、だれが最高の画家かということを民主的に決めるわけにはいかない。>)であり、文化活動や精神活動には自由さが必須、特に国家からの自由は重要だという。共産主義国家の脅威が今よりリアルだった時代背景を思うと、さもありなんという感じだ。

また、法律活動では平等が大事で、どんな立場の人であっても国家活動や法律活動では平等に扱われるとする。

そして経済については<(略)経済活動、工業化社会の近代経済活動は、「お互いのために仕事をする」ことが根本的にある。つまり博愛なのです。>(p.33)と述べ、経済活動は博愛に基づくべきだと指摘している。

このインタビューの中でエンデは、<自由な精神活動、民主的な法活動、博愛的な経済活動ができる社会、これが私の考える社会的な意味でのユートピアです>とまとめている。

 

医者の世界では昔から「後医は名医」と言って、あとから判断するものは常に有利だとされている。病気の進行がわかった後になってああだこうだ言うのは楽なのだ。

 

20数年ぶりに<ポジティブ・ユートピア>と再会したぼくは、野放図な自由さが必ずしも文化活動や言論活動の質を高めるわけではないことを知っている。
ネット言論の匿名さと自由さは、細切れ・決めつけ・歯切れの良すぎる他者への批判とともに、キーボードの前の「何もしない完璧主義者」を増殖させた。
欧米諸国から原理主義的宗教疑似国家へ身を投じる若者が次々と現れている様子を見ると、自由な精神活動の行きつくところが不自由な束縛だったと皮肉も言いたくなる。
人は宙ぶらりんの自由に耐えきれず、すがる先のある不自由さに帰っていくのかもしれない。
共産主義国家崩壊により世界中が民主化されるかと夢みたものの、民主的でない国が世界第2位の経済力を持ったり、民主化の名のもとに中東大混乱があったり、日本では「投票しない有権者」が増えるばかりだったり。

博愛主義に基づく経済活動ってのは一向に見えてこず、wildでgreedyな経済活動ばかりが幅をきかしているようでもある。

 

バブル崩壊後のことをよく「失われた20年」なんて言うが、失ってきたのはなんだったのだろうか。

失ってきたのは希望であり見通しであり、間違った状態から脱出するために磁石のように人を引き付ける<ポジティブ・ユートピア>のイメージそのものだったのかもしれない。
2015年現在にどんな<ポジティブ・ユートピア>のイメージをぼくらは描けばよいのか、<ポジティブ・ユートピア>なんてものが幻想であって、そんなものを持たなくても人は生きていけているではないか、そもそもユートピアという言葉そのものが「どこにもない場所」って意味だそうだしな、なんてことをいろいろ考えながら、再発見したエンデの記事を読み返してみる。
20数年の歳月を経て記事は少しくたびれて色褪せていた。
それでもやっぱり僕はその記事を捨てる気にはなれず、自分の荷物の奥底に再びしまい込んでおくことにした。