聴くは効く

「高橋くん、わしはな、80歳を越えてから、薬も捨てた、検査も捨てた。白衣だって捨てた。ただひたすらに、患者さんの話を聴く。そうするとな、面白いことに患者さんは自分から勝手に治っていくんや。ええか、聴くは効く。ただひたすらに聴く、そういう医療が、あってもいいんと違うかな」。


古都に住む超ベテランのある医師が、かつて僕に語ってくれた。
先生は地域医療一筋60年で、在宅医療の先駆けのお一人でもある。
かつて織物の町を一軒いっけん往診してまわり、生活と医療が一体であると誰よりも早く説き、重症の寝たきりご老人の寿命があと何日残されているかまで当てたという。
往診に行った先で何年にも渡るお姑さんの介護に疲れたお嫁さんの手を取り、「来週の月曜日くらいにはお迎えがくるで」と言い、本当にその通りのタイミングで息を引き取ったお姑さんを看取ると、「○時○○分。あんたもよう頑張ったな」とお嫁さんをねぎらったという。

ぼくがご自宅を訪ねたときは確か85歳くらいだったが、診察室を兼ねた茶室で、何時間も地域医療について教えてくださった。
「うちの奥さんは茶道をやってるんや。ちなみにこの茶室はちゃんと医療機関として役所に届けてるんやで。わしが患者さんの話をひたすら聴く。奥さんがお茶を一服入れる。患者さんは思い切り話して自然によくなる。お茶も一服、薬も一服や。な?」

病院を訪れる人がみな物理的な病気であるとは限らない。

検査で異常がみつかるような人は街の病院で診てもらい、どこへ行っても「検査では異常がないから、あなたは病気ではない」と片付けられてしまうような、おそらく『不定愁訴』の患者さんが、困り果てて先生の診察室兼茶室を訪れていたのだろうとも思う。

しかし病院を訪れる人の約半数は病名がつかないといわれるくらいで(確か前野哲博編著『帰してはいけない外来患者』医学書院に書いてあったと思う)、『不定愁訴』の人だっておおいに困っている立派な患者さんなのだ。

 

臨床現場に復帰したばかりのとき、予約患者さんもほぼ皆無だったので、ぼくはこの「ただひたすらに聴く」という医療をやってみた。
ウィリアム・オスラーの言葉に「Listen to the patient,he is telling the diagnosis./患者の話を聴け。彼は診断そのものを語っているのだ」と言うのがあるごとく、ただひたすらに聴いていると、からまった糸がほどけるように病気の全体像が見えてきた。
今は残念ながら時間に追われて「ただひたすらに聴く」という診療スタイルはできない。やむなく3分診療のクオリティをいかに高めるということに腐心しているわけだけれど、いつの日か患者さんとお茶を一服しながら「聴くは効く」を実践したいと思う。

 

3分診療時代の長生きできる 受診のコツ45

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