ヨザワ・オボカタ・サムラゴーチ〜二度と騙されないためのたった一つの方法(R)

ニセモノとホンモノを見分けるにはどうすればよいか。

大変悲しい事実だが、世の中にはニセモノが沢山いる。
その動機が金か保身か自己顕示欲なのかはわからないが、自分自身を“盛って”現実より高く見せて周りの人の関心を惹きつけて振り回し、挙句の果てになにか大事なものを奪って最後にはメッキが剥げる。
新聞やテレビもニセモノを見抜けず、「新時代の成功者」「科学史を塗り替える天才」「現代のベートーベン」と称賛し、被害拡大に一役買う。

そんなニセモノというのは、遠くから生温かく見ているぶんにはとても楽しいものだ。
時代を彩るのはいつだって傾き者の役目だし、トリックスターというのは話のタネにするにはもってこいだ。
四角四面のカタブツばかりではつまらないし、そうした奇妙なニセモノというのは、モニター越しに見ているぶんには単調な毎日を刺激するピリッとしたスパイスになり得るものだ。

しかしそのニセモノが実生活に影響を及ぼし始めると話は変わってくる。
やっかいなことにニセモノほど回りを魅了する力が強い。
ニセモノと知り合うと、自分はすごい人と知り合いになったのではないかと錯覚し、気が付けば金や時間や信用など、大切ななにものかをそのニセモノのために失う破目になってしまう。
ピリッとしたスパイスも多すぎれば料理を台無しにするし、刺激的なスパイスが目に入れば最悪失明だってしてしまう。
要するに、ニセモノを自分の生活圏内に入れてはいけないのだ。

ではそうしたニセモノをモニターや新聞の紙面越しの存在に留まらせ、実生活に侵入させないためにはどうするか。
言葉を変えれば、ニセモノのすごい人とホンモノのすごい人を見分けるにはどうすればよいか。
その人に関して流通する情報の内訳を見ればよい。

ホンモノのすごい人は、なぜホンモノなのか。
実は、その人の私生活なんかどうでもいいし、その人の内面も関係ない。
すごい人がすごいという評価を得ているのは、高級車を何台も乗り回し毎晩何百万も夜の街に散財するからでもなく、実験室の壁をピンクに塗って割烹着を着て実験するからでもない。
実験室の壁をピンクに塗ったら試験管の中身の液体の色の変化を見誤るし、割烹着を着て実験なんかしたらいろいろ微生物がサンプルに混入してしまう。
すごい人がすごい理由は、その人の存在自身なんかはどうでもよく、その人がやっていることにあるのだ。
ホンモノ自身も、自分がどうみられるかよりも自分がやっていることがうまくいくかに最大の興味関心がある。
だから、もしメディアがセンセーショナルに報道する新たなすごい人がホンモノなら、流通する情報の多くはその人がやっている事業そのもの、研究そのものが中心になる。
新聞記者やテレビリポーターがインタビューする場合、情報の一番最初の出し手であるホンモノのすごい人は夢中になって自分が取り組んでいることを話す。
ホンモノのすごい人の最大の関心事は自分のライフスタイルでもなく自分がどうみられるかでもなく、自分が取りくんでいる事業や研究や作品なので、取材の時間のほとんどをそのことについてしゃべるだろう。
それが何度も繰り返されれば、マスコミを通して流通するすごい人の話題というのは、その人の人物像ではなくその人がやっていることが大半を占めることになる。

ひるがえってニセモノはどうか。
ニセモノが関心があるのは自分自身がどうみられるかである。
彼自身がやっていることは目的ではなく手段だし、そもそも内容が無い。
だから彼や彼女がしゃべりまくることというのは、彼ら自身の私生活がいかに派手であるかだったり、有名人の知り合いがどれだけいるかだったり、いかに自分が変わっているかだったりすることばかりだ。
自分のことばかり話す奴には気をつけろ、「私って変わってるってよく言われるんです〜」って奴には近づくなって話なのだ。

すごい人のやっていることはエッジが効いていてアクが強いだろうが、その人自身がアクが強い必要はない。

<人間自体にアクがあっちゃ駄目なんだよ。それは、嫉妬をはじめとする、色んなベクトルの方向をまちがえてる人。モノを創る人ってさ、アクが強くなきゃって思いがちじゃない?でもさ、本当はそうじゃないと思うね。創るものにそのアクが出てりゃいいじゃない。>(山田詠美『ひざまずいて足をお舐め』新潮文庫 平成3年 p.194)

ニセモノとホンモノを見分ける方法。
その人がどんな人かより、その人が何をやっているか、その人が何に夢中で何にエネルギーをそそぎこんでいるかだけを見よ。
逆境からの苦労話や今の華やかな生活に目をくらまされることなく、スケールの大きな夢の話に惑わされることなく、ただただそいつがやってきたことと取り組んでいることだけを見つめるのだ。

「其の以(な)す所を視、其の由る所を観、其の安んずる所を察すれば、人いずくんぞかくさんや人いずくんぞかくさんや」(論語 為政篇)、<人の善悪を知るには、まずその人の行為をしらべてみる。もしその人の行いが善であるならば、次にその行為の動機を注意してしらべてみる。もし動機が善であるならば、更に善を楽しんでいるか否かをよくしらべてみる。善を楽しむ人ならば真の善人である。この三つの手段によって、人を観察するならば人は決してその善悪を隠して知らせないようにすることはできない>(宇野哲人論語新釈』講談社学術文庫1980年p45)。
まずはその人がやってることを徹底的に見ることが、いつだってニセモノとホンモノを見分ける秘訣なのだ。
(FB2014年12月20日を再掲)

 

3分診療時代の長生きできる 受診のコツ45

3分診療時代の長生きできる 受診のコツ45