鬼手仏心~ある外科医師の思い出(R)

「おい、コブラって何だ。俺知らないぞ」
唐突に響くN教授の声。
広がる当惑。
朝の7時、場所は外科の症例検討カンファレンス。
医学生時代の出来事。

 

カルテや患者さんのレントゲン写真を前に、ぼくら医学生より何年か先輩の新米ドクターが汗をかきかき教授はじめベテランドクターの前でプレゼンテーション中。

「えー、この患者さんの内視鏡所見はこの病気特有のコブルストーン所見で…」、新米ドクターがしどろもどろでいいかけたときに冒頭のN教授の発言となった。
教授自らの質問にどぎまぎしている新米ドクターを飛ばして、居並ぶ外科医を見回して教授が聞く。
「おいコブラってなんだ。誰か教えてくれ」。

「彼が言ったのはコブラでなくてコブルですね。COBRAでなくてCOBBLEストーン、敷石みたいに腸の表面が見えるという所見です。そこにいる国家試験勉強中の医学生さんのほうが詳しいかも知れませんね」。
教授の唐突な質問に慣れっこの中堅ドクターが涼しげにぼくらを指差した。

ぼくは慌てて座り直し、片腕が銃になっていて葉巻と美女をこよなく愛するスペースオペラの主人公を頭の中から追い出し神妙な顔をした。

「おおそうかコブルか。俺はてっきり蛇みたいに腸が見えるのかと思ったよ。サンキュー、勉強になった。よし次の症例プレゼンよろしく」
教授がこともなげにそう言うとカンファレンスが再開された。

たとえどんなに偉くなったとしても、たとえ少しばかり物知りになったとしても、このN教授のように素直に知らないことは知らない、教えてと言える人間でいよう。
そう心に決めたのはその日のことであった。

患者を愛し、手術と手術室をどこまでも愛し、病院と大学を心の底から愛したN教授が旅立ってからしばらく経つ。

(FB2015年6月25日を再掲)

 

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