「地域包括ケアシステム」を考える3(R)

「地域包括ケアシステム」についてつらつら思うところを書いた。
その中で、義務教育との類比で地域医療を論じた。
国民に一定水準の教育を保障する義務教育があるように、国民に一定水準の医療も保障されるべきではないかという話だ。
ナショナルミニマムというやつですね。

 

例えば離島の住民が病気になって自衛隊のヘリコプターで本島の総合病院に搬送されるとする。
現時点ではそのヘリコプターの運用費用は税金から出ているはずだが、もしも将来、都心の高額納税者がこんなことを言い出したらどうするか。
「病院もないそんな離島に住んでいるのが悪い。
自己責任でそこに住んでいるのだから、ヘリコプター代は自分で払え。
高額納税者である私が払った税金が、好きで離島に住んでいる人の緊急搬送に使われるのは到底納得できない」。

教育の場合にはそんな怒り狂った都会の高額納税者を、「まあまあお気持ちはわかりますが日本には義務教育制度がありまして、同じ日本に生まれたからにはどこに住んでいても一定の教育を子供に受けさせてあげようじゃありませんか。
あなたの納めた税金、そのために粛々と使わせていただきます」となだめることが出来る。

だが医療においては、日本の医療制度かくあるべしという理念が明示されていないがゆえに、「好きで離島や過疎地に住んでいるやつのために俺の税金を使うな!自己責任だ!」と怒り狂う都会の高額納税者が今後出てきたときに、納得させる術が無いんじゃなかろうかと思うわけである。
だからこそ理念は大事なのだ。

実は、こっそり書くと義務教育とのアナロジーで平等な医療制度を論じるのは一部無理がある。
子供は生まれる場所を選べないが、大人は(理論上は)住む場所を選べるのだ。
自分の気に入る住民サービスを提供してくれる自治体に引っ越すことで自治体経営者の政策決定に影響を与えることも出来るかも知れない。
「足による投票」というやつで、人口減少による自治体間の住民獲得競争が激化する今後はますます有効な意志表示方法となる。

そして子供と大人の決定的な違いは、未来を選択する力だ。
大人は、本気になれば理論上は立候補して世直しを訴えることだって出来るし、それが大変なら選挙で一票を投じることで少なくとも意志表示は出来る。

今週末から日本各地で市議会や県議会の議員を選ぶ選挙が始まる。
未来を選ぶ力を持った大人たちが投票所に足を運び、せめて意志表示くらいはしておくというのは結構大事なことだと思うのだが、いかがだろうか。

皆様、よい週末を。

(FB2015年4月10日を再掲)

 

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