医の心~外国人医師に負けた話(R)

見知らぬタイ人ドクターに完全ノックアウトされたことがある。
先に言っておくが、「それ以来タイ人恐怖症」というオチの話ではない。
幸いにして今のところ、そんなベタなダジャレを言うほど落ちぶれてはいないのである。
ほんとは言いたいけど。

 

今から十年近く前、海辺の町の小さな病院で外来をしていたときのこと。
診察室での外来だけでなく、月に一度、ある寝たきり患者さんの元に往診に行っていた。
仮にAさんとしておく。
あんまり詳しいことは書けないけれど、Aさんはずっと前から寝たきり状態、病院から車で20分くらいの山の上、雑木林の中のこじんまりした家にたった一人で住んでいた。
病気の性質上、これから回復する状態とは到底言い難く、身よりもないAさんはすべてに嫌気がさしていてもう何年も家にこもりっきりだった。
訪問看護の看護師さんは週に何回かAさんのところを訪れていたし、役所や近所の人がたぶん生活用品の買い物なんかはしていたんだと思う。
往診で一緒にいく年配の看護師さんの話だと、ほんとうに何年もAさんは家から一歩も出ていなかったようだ。

楽しみといったらベッドの前のテレビのみ。
それも楽しみというよりはただ惰性でつけているだけで、「お加減いかがですか」とぼくが尋ねても、Aさんは心を閉ざしたまま虚ろな表情でただ「・・・大丈夫」と答えるだけだった。

「少しでも外にでると気持ちも晴れるんですけどね」。
病院に帰る車の中で、看護師さんが言う。
ぼくはただ力なく、そうですね、と答えるだけだった。
お加減いかがですかと話しかけ、通りいっぺんの診察をし、いつもの薬を出す。
ほかにいったい何ができるというのだろうか。

「先週、Aさんがお庭に出たんですよ!それがすっごいいい笑顔でね~」
夏休みがあけた日、いきなり訪問看護師さんにそう声をかけられた。
!?いったいどうやって・・・。
「先生がお休みの間、タイから見学のお医者さんがいらしてね。
その先生が訪問看護に一緒についてきたんです。
ボクはカメラが趣味なんです、なんて言って、こーんなに大きなカメラをぶらさげてあちこち回ったんですけどね。
Aさんのお宅にも一緒にうかがったら、その先生がAさんに言ったんです。
ボク、あなたの写真を撮りたいから、一緒にお庭に行きましょうって。
ほら、赤い花も咲いてますよ。
車いすも持ってきたから大丈夫、ちょっと暑いけど空も真っ青できれいだし、一緒にお庭で写真とりましょうよ、ね、って。
それでAさんも、そんなに言うんだったらちょっと庭に出てみようか、って言って、ほんとに何年ぶりかに、車いすに乗って外に出たんですよ。
タイのお医者さんと記念写真撮ったりして、あんな笑顔見たことなかったですよ」

タイ人ドクターがAさんを何年ぶりかに庭に連れ出したエピソードをうれしそうにする訪問看護師の話を聞きながら、なんだかしらないけれど、負けた、と思った。
ソムチャイ先生かパッタマボラクルチャイ先生かは忘れたし、そもそも名前も聞いたかどうかすら覚えていないが、言いようのない敗北、完敗だった。
己の無力感のためにAさんに対して完全に腰が引けていたぼくに比べ、あっという間に心を開かせ、外に誘い出し、青空のもと笑顔まで引き出したタイ人ドクター。
その病院は小さい病院だったけれど、後にいろいろとニュースをにぎわすことになる特殊うな会の病院グループの一員で、タイ人ドクターはその病院グループ全体の見学にきていたのだった。
ぼくが夏休みから復帰したときにはそのタイ人ドクターはほかの病院に見学に行ってしまい直接会うことはなかったけれど、あのときの「負けた感」は今もひきずっている。

どんなに医学が進歩しても、医療というのはヒューマン対ヒューマンの営みだ。
だからこそ、少なくともこれから半世紀以上、医療が全自動化するようなことはないだろう。
ぼくはその見知らぬタイ人ドクターに、医学的な知識や技術ではなく、なんというか「医の心」というもので負けた。
医学知識や技術は大事だけど、それに劣らず大事なものは人と人との関係性だ。
そんなことをそのタイ人ドクターは知らしめて、言葉も交わさず謎の存在のまま去っていった。
まあそういうわけで、ぼくがそれ以来常に興味関心を抱き続けているのは、タイ人関係という訳である。
こっぷんかー。

(FB2014年6月10日を再掲)