あえて憂う、「東大、推薦入試」。

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NHKのニュースなどによると、来年春から東大でも推薦入試を行うという。ニュースによれば、<高校の調査書のほか語学力の証明書などで1次選考が行われたあと、面接などの2次選考を経て、大学入試センター試験の成績と合わせて合否が決められる>という(11月2日配信 NHK news webより。< >内は引用)。

 

まわりの反応をみると推薦入試導入に関して総じて好評のようなので、ひねくれ者としてはあえてこの推薦入試導入を憂いてみたいと思う。ひねくれ者にも3分の理、なにか見落とされている点がないかチェックするのに役立てばうれしい。

 

推薦入試に関して言われる点を挙げてみると、「ペーパーテストだけでは頭でっかちの人ばかり選ばれる」「人間性を見抜いてもらい、全人的評価で選抜できる」「暗記力だけではダメ」というところだろうか。
だがちょっと待ってほしい(朝日新聞話法)。
たかだか大学入試で、全人的評価なんかされてたまるか。

面接などの二次試験というが、そこに『目利き』はいるのか。

大学教授が立派な研究者であることは認めるが、立派な研究者が限られた面接時間内に将来性に満ちた優秀な人材を見抜くだけの力があると胸を張っていえるのか。リメンバー・オボカタ。
東大に先行して医学部入試では以前から面接が導入されているが、居並ぶ医学部教授たちが優秀な医者の卵を見抜けていた/いるかどうか検証はしているのだろうか。
ぼくは意識的楽観主義者だが、ときどき絶望的な気持ちになるのは日本で行われている施策が、一回やってしまったらあとはその成果を検証しないまま次の施策にうつっていっているように思えることだ。机の奥にしまったままの住基ネットカードはどうしたらよいのだろう。
ぼくが胸を張って言えるのは、限られた面接時間内にだれかの人間性を見抜ける自信なんてないということだ。もし仮に1週間(できれば三か月くらい)、朝から晩まで一緒に仕事をさせてもらえるなら少しはその人の人間性や将来性を見抜けるかもしれないが。
あんまり書くとただ単に自分自身の人を見る目の無さが露呈してしまうだけなので次へ。

面接や小論文による評価は、ペーパーテストよりも無条件によいとは限らない。

ペーパーテストはすべて丸暗記で、あらかじめ答えが決まっているものに○×つけるだけで機械的だが、面接や小論文は自由な発想を活かせるから人間的、みたいなことを言う人がいるが、そこはおおいに注意したほうがよい。
たとえば面接や小論文で、「日本の官僚制度について述べよ」という問題が出たとする。そうすると、官僚養成の役割を担う東大で高得点がつく答えははじめから決まっている。「改善すべき点はあるが総じて優れた制度である」という骨子の小論文が高得点になるのは火を見るより明らかだ。面接や小論文だって、「あらかじめ答えは決まっている」のだ。あとはそれをどう肉付けするかだけの話だ(1)。
官僚養成の役割を担う東大で、「官僚制度は最悪だ。私が将来行うのは、スクラップ・アンド・スクラップ」と述べる受験生や、「パワー・トゥ・ザ・ピープル、パワー・トゥ・ザ・ピープル」とかいきなり歌い出して最後は「ラブ&ピース、トーキョーuniv、ロケンロー、サンキュー」とか言う受験生が最高得点だったら、誰だってビビる。私もビビる。外山恒一内田裕也フォーエバー。

 

面接や小論文で見落とされがちなのは、無意識のうちに格差固定の道具になりうる、ということである。

人間は自分に似た者を好む。階級社会の欧米では、面接は面接官と同質の価値観を共有する階級の仲間かを見抜くのに使われている可能性がある。
教科書に書いてあることを無味乾燥に列挙しただけのものより、「シェイクスピアいわく」とか「モンテーニュのエセーによれば」とかという教養フレーバーをちりばめた小論文や面接の受け答えのほうが高得点になるであろう。
そしてそうした教養に満ち溢れた受け答えをできるようになるには、常日頃からそうしたやりとりが家庭に満ち溢れているハイ・クラスの子弟のほうが有利だ。恵まれない家庭に育って必死で学校で勉強しただけの者は、選抜から排除されうる。面接での身のこなしや立ち居振る舞い、言葉づかいだってハイ・クラスの子弟のほうが面接官受けがよいのは明らかだろう(2)。

欧米の名門校の面接に我が子を通すために富裕層の親は何をするか。徹底した情報収集と対策である。
自分の持つ人脈の全てを使って来年の入試でどんな人物を大学が求めているか探る。
親子ともどもイェール大学出身のブッシュ親子のように、代々名門校出の家系というのが欧米にはゴロゴロいるが、そうした家なら親の同級生に出身校の教授がいてもおかしくない。同級生同士久し振りに飯でも食おうとでも誘えば、来年大学が求める人物像はつかめるだろう。スポーツ熱心な学生がほしいんだよねと聞けば即座に息子にスポーツコーチをつけるし、貧困国支援するような気概のある学生を求めてるときけばすぐに息子をアジアかアフリカに送り込んでボランティアの実績をつけさせる(3)。
パパブッシュがそうやって息子をイェール大学に入れたかはしらないが、上記のプロセスは日本の大学でだってできることだ。

どんな制度も運用次第だが、東大が推薦入試を行うときいて頭に浮かんだのが上記のことだ。

教育は誰しもが経験するものなので皆が好き勝手なことをいう。だからこそ冷静な検証が必要で、東大推薦入試の場合も5年後、10年後、30年後、50年後といった節目ふしめで、良い人材を採用できたのか、社会に与える影響はどうだったのかをしっかり検証してほしいと思う。それこそ国の最高教育機関、人材育成機関の役目だと思うがいかがだろうか。

 

<教育改革や教育問題をめぐっては、さまざまな印象論、体験論に基づく議論が広まっている。だが、個人的な印象や体験に基づく主張は、憶測を生みやすい。そうした憶測に基づいて改革の方向が決められるとしたら、その試みは教育や社会の基本的な構造を思わぬ方向に変えてしまう危険性をもつ。しかも、こうした危険性について、憶測に任せた判断はほとんど気づかないままか、気づいていたとしても、その方向を変更するまでには及ばないことも少なくない。

  このような危惧をもった場合、それをただす一つの方法は、できるだけ実態を正しくとらえうるデータを使って、改革論議に埋め込まれた現状認識や問題把握の甘さを指摘していくことである。さらには、改革がめざす理想を自明視するのではなく、そこに込められた論理の絡まりを解きほぐすことによって、掲げられる改革の目標自体を丹念に見直していくことも必要だ。>(苅谷剛彦『教育改革の幻想』ちくま新書 2002年 p.14-15)

(1)この部分、テリー伊藤『お笑い大蔵省極秘情報』飛鳥新社1996年での指摘による。

(2)この部分、小宮一夫先生のご教示による。
(3)おそらくクーリエ・ジャポン記事による(元記事は手元にない)

(2016年9月追記) 小林至『アメリカ人はバカなのか』幻冬舎文庫 平成15年 p.202-211部分も参考になる。小林至は東大経済学部卒の元プロ野球選手。コロンビア大学MBA取得しアメリカで働いていた。

 

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