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A country is Not a company (R)

ある有名ITビジネス・リーダーが「生産性の低い人が無理に働くと社会全体の富が減って本人も損をする」と発言したとかしないとかでネット上で話題になっている。
調べてみるともとの発言の趣旨と叩かれている内容に少しズレがあるようだが、真偽のほどを云々したいわけでもなく、発言者を道義的に責めたいわけでもない。
この発言を機に再確認しておきたいのは、ビジネス・リーダーによる社会についての発言を聞くときの留意点「A country is Not a company、国は会社ではない」ということだ。

これは経済学者ポール・R・クルーグマンが1996年に『ハーバード・ビジネス・レビュー』に書いた話で、ダイヤモンド社の『クルーグマンの視座』(2008年)の41ページから71ページに載っている。
クルーグマンの主張は、シンプルに言えば<ビジネスの成功者を高く評価する社会にあっては正しい判断でもあるが、特に金銭に関係する問題について、政治家がしばしばビジネス・リーダーに意見を求めることも、やむを得ない。その場合、アドバイスを求める人も求められる人も、経済政策の分野には実業界での成功から学べることと学べないことがあるということを、しっかりと理解してほしいものである>(上掲書p.69)ということ。

その理由として、①国の複雑性は企業よりはるかに大きい。②企業はオープン・システム(開放系)だが国はクローズド・システム(閉鎖系)である。③クローズド・システムの国では、多くの事象にネガティブ・フィードバックが働く、などを挙げている。
①についてクルーグマンは、<数学者たちの言い方に従えば、大きな集団の内部で起こるメンバー間の相互作用の値は、「人数の四乗」だという>と書き添えている(p.55)。
平たく言えば、メンバーが多い集団ほどもめごとも多いわけである。

②、③について、人の雇用とリストラを考えてみるとわかりやすい。
自分以外にほかの競合者・競合他社がいる企業では、人の行き来する場所<外部>がある。
業績が伸びて人員が必要になればいくらでも社員を募集して会社の規模を大きくすることが出来る。
逆に人が不要になれば、リストラして会社を小さくすることができる。
必要なものをもらい、不要なものを渡す<外部>の存在があるオープンシステムがcompanyである。

ある程度の規模の国ではそうはいかない。
人もモノも金も、ほとんど自分の内部でやりくりしなければならない。
国民をリストラすることはできないし、国の縮小を避けるために大量に人員募集することも実質的には困難だ(移民政策には負の側面も多い)。
企業ならAの部門もBの部門もともに売り上げを倍増させることもできるが、お金とモノの循環のほとんどが国内で回っている国では、ある産業部門の売り上げが倍増すればその分ほかの産業部門の売り上げが下がる。

ことほど左様に、countryとcompanyは異なる力学で動いている。
冒頭の発言も、企業ならば生産性の低い人に<外部>に行ってもらい企業体の生産性を上げるという発想になるが、国の場合には<外部>なんかない。
たとえ「生産性の低い人」であろうがなんだろうが、みな国民の一員なのだ。
一万歩ゆずって「生産性の低い人」から仕事を取り上げたとしても、閉鎖系である国では今度は福祉という形で社会の負担(やな言い方だ)が生まれるのもcountryとcompanyの違いだ。
ビジネス・リーダーが発する社会や国家のありかたについての発言から学ぶべき点は学べばよい。
しかしそんなわけで、社会や国についてのホリエモンの刺激的な発言を聞くときには、割り引いて聞いたほうがよい。
それが、大人の見識というものである。
(FB2015年9月3日を再掲)

 

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