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再論・あえて憂う、「東大、推薦入試」

先日、東大に推薦入試が導入される話を巡っていくつか気になる点を述べた。
端的に言えば、大学入試で格差解消がある程度可能な日本社会において、東大で推薦入試が導入されると格差固定につながるのではないかという指摘だ。
この話の前提となる点は、「日本社会では大学入試で格差解消がある程度可能」ということだ。日本社会では、例えば経済的に恵まれない家庭に生まれたとしても暗記力と根気があれば公立高校から国立大学に入り、高収入の職につくことができる。

逆に経済的に恵まれた家庭に生まれても、勉強ができなければ良い大学に入ることはできない。階級社会の欧州や、winner takes allのアメリカと比べて日本は意外に機会平等ではないか、という認識だ。もちろん理論上は、ということだが。
東大生の親は高収入者が多いということはよく言われるし、小学校から塾通いしなければ東大に入れないというのもたぶん事実なんだろう。
しかし理論上、社会階層を「成り上がれる」という経路・パスウェイが存在するというのはとても大事なことだと思う。
現実には富裕層の子弟じゃなきゃ東大に入れないから理論上の「成り上がり」パスウェイも放棄するというのは、現実には社会的に男女不平等だから理論上の男女平等になれる仕組みを放棄するというのに等しい。
そこらへんのところを考えると、国の財政が厳しいから国立大学の授業料を値上げするなんていうのは狂気の沙汰だと思うが、それはまた別の話。少なくとも旧帝大、最低でも東大と京大くらいは学費無料にしたっていいくらいだと思うけれど。(理論上は)勉強したらローリスクで社会的階層を成り上がれる、というのは明治以来のジャパニーズドリームじゃないだろうか。

それはそれとして、以前の「あえて憂う、東大推薦入試」を書いた際に何人かの友人から指摘をもらった。イギリスの名門大学では教授たちは自分が教えたい学生を採る、そのためにも小論文や面接は有用であるとのことだ。そして結果としての格差はやむを得ないものとされているとのことである。
そこではたと気づいたことがある。東大とオックスブリッジの入試を比較し議論する際にすっかり見落としていたことがあったのだ。

日本社会において、18歳にどこの大学に入学を許可されたかが人生を左右する(面が多い)。よほどのことが無い限り退学にならない日本の大学では、入学時にどの学力だったのかが将来の評価基準となる。つまり、大学入試は18歳時の能力を評価するための、ちょうどTOEICみたいな試験として使われているということだ。
よく言う「大学で何を学んだかではなく、どこの大学を出たか」が問われる社会で、よほどのことがないと退学にならないという条件を加味すると「大学で何を学んだかではなく、どこの大学に入ったか」を問われる社会だというわけで、我ながら書いていて今さらな話ではある。
しかし18歳時の絶対評価試験に複数の基準が存在することに対する違和感があるために、東大で推薦枠導入と聞くとすわり心地の悪い気がするのだろう。たとえば同じTOEIC900点でも、Aさんは従来通りの試験で、Bさんは面接だけだった、みたいな感じ。
オックスブリッジの入試との比較議論を友人としたときに一部ですれ違ったのは、日本の大学入試はある種のゴール(「ある種」ってなんだ)だが、オックスブリッジの入試や東大教員が内部からみた東大入試は「学問をする資格があるか見る、学者としての」スタートであるという違いに無自覚だったからだとあとで気づいた。もうちょいうまくここのところを言わないといけませんね。

うまく書き切れないけれど、いずれにせよ東大推薦入試の行く末に興味津々である。

 

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