ビジネスマンの友に贈るそれでもなお「じっくり考える」ことを勧める4つのエピソード+1。あるいはできる人はなぜ考える時間を手離さないのか(R)

即断即決即レスが求められる時代だが、時にはじっくり物を考えるのも必要ではないかと昨日書いてみた。
これに対しスーパービジネスマンの友人から「じっくり考える」の「じっくり」ってのはどういう意味だと反論をもらった。
おかげでいろいろ面白い話を思い出したので、「そういう見方もあると勉強になった」となあなあで済ませず、あえて「じっくり考える」ことを勧めて議論と友情を深めたいと思う。
ぼく自身が生き馬の目を抜くビジネス界に身を置いているわけではないのでいつにも増して引用中心になるが、何かしらの参考になれば幸いである。
さてと。

現代人は常に決断を迫られている。
現代では決断は早いほどよく、インプットとアウトプットの間隔は短いほうが良いらしい。
とうとう先日『ゼロ秒思考』なる言葉も目にした。
しかしながら時にはじっくり時間をかけて考え抜くことも大事ではないだろうか。

君は言うだろう。
考えている暇なんかない、あるいは考えてもそうでなくても結果はそんなに変わらない、要はやるかやらないかだ、という反論もあると思う。
会議は次から次へとやってくるし、決済を仰ぐ書類は机に山積みだ。
情報収集のために見なければならないサイトは山のようにあるし、メールにtwitterfacebookで情報発信もしなければならない。
立ち止まって考える暇なんて、現代人にはありはしないのだ。

だがしかし、即断即決即レスが必ずしも正しいわけではない事案もある。
経営理念や今後10年間の経営計画が『ゼロ秒思考』で導き出されたものだと社員としては不安だ。
恋人や配偶者へプレゼントを渡すときに、「ゼロ秒で選んだよ」と自慢する奴は少ないだろう。
自分にもしものことがあったとき用の我が子への最期のメッセージを、即断即決即レスで書き上げることはできない。
時にはじっくり考えることも必要なのである。

世界一の資産家ビル・ゲイツと世界第4位の資産家ウォーレン・バフェットは友人同士だが、彼らの間のエピソードにこんなものがある。
<これまでバフェットからゲイツが受けた最良のアドバイスの一つが次の言葉だという。
「本当に重要なことだけを選んで、それ以外は上手に『ノー』と断ることも大切だよ」
 バフェットと初めて会った頃のゲイツは多忙だった。山ほどの会議に出席し、夜になったら一日に一〇〇万通届くといわれるメール(大半は迷惑メール)にとりかかり、必要ならば長い返事を書く。一年の四分の一は海外にでかけ、年に二週間だけとれる休暇を、ゲイツは「考える時間」と呼んで大切にしていた。
 一方、バフェットは会議にはほとんど出ず、電話もほどほどの本数だ。メールも使わないので、「考える時間」が年に五〇週ほどもとれる。その潤沢な時間がバフェットの優れた決断のもととなっている。
 バフェットの手帳の予定表が真っ白なのを見て、ゲイツは意味があることとないことを見きわめ、意味のないことにはかかわらない大切さを知ったという。>(桑原晃弥『ウォーレン・バフェット 成功の名語録 世界が尊敬する実業家、103の言葉』PHPビジネス新書 2012年 p.150-151)
ぼくは世界1位と世界4位の金持ちだからといって無条件に尊敬するつもりもないが、一方で彼らから学ぶものは何もないと言い切るほど傲慢でもない。

考えるだけでなく、仕事でなにかやるにはまとまった時間が必要だ
ドラッカーは言う。
<報告書の作成に六時間から八時間を要するとする。しかし一日に二回、一五分ずつを三週間充てても無駄である。得られるものは、いたずら書きにすぎない。ドアにカギをかけ、電話線を抜き、まとめて数時間取り組んで初めて、下書きの手前のもの、つまりゼロ号案が得られる。その後、ようやく、比較的短い時間の単位に分けて、章ごとあるいは節ごと、センテンスごとに書き直し、訂正し、編集して、筆を進めることができる。
 実験についても同じことが言える。装置をそろえ、ひととおりの実験を行うには、五時間あるいは一二時間を一度に使わなければならない。中断すると、初めからやり直さなければならない。>(P・F・ドラッカー『プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか』ダイヤモンド社 2000年 p.122。この本はドラッカーの複数の著書からの抜粋を集めたもので、元もとは『経営者の条件』収載)
思考実験の言葉もあるとおり「考える」ことも一種の実験で、実験で結果を出すためには真理を求めるあくなき探求心とまとまった時間である。
その二つが無ければ割烹着やピンクの壁は何も生み出さない。

ざっくりとまとまった時間をとることは何かを成し遂げるにはとても大事らしい。
哲学者カントの時間割を見ると、講義の準備に二時間、講義に二時間、本を書くために四時間と二時間から四時間刻みだったそうだ(渡部昇一『知的生活の方法』講談社現代新書 昭和50年 p.179-180)。
チャーチルは多忙な政治家だったが自ら絵も描いたし著作も残している。
その秘訣はやはり、思い切ってまとまった時間をとっていたからではないかと渡部氏は書いている。
まったくもって根拠はないが、昔の時間単位の一時(ひととき)が二時間単位であることや、映画が二時間前後であることなどをみると、人間がことをはじめて終わるまでに全部含めてだいたい二時間くらいかかるものなのかもしれない。
何をやってもスピーディな人というのも中にはいますけどね。

ざっくりとまとまった時間をとって考えることが足りないのは、もちろん日本のビジネスマンだけではない。
2009年、イェール大学の元教授ウィリアム・デレズヴィッツがアメリカの陸軍士官学校ウェストポイントでこんな講演をした。
<いま米国のあらゆる機関が、リーダー不在の危機に瀕しています。政府だけではありません。ここ数十年で米国企業に何があったか振り返ってみてください。GMやトランス・ワールド航空、USスチールと言った古い時代の大企業は破綻したり、破綻の危機に追い込まれたりしました。ウォール街も、最近のたった数年であんなことになりました。(略)
 (今アメリカにいるリーダーは)質問には答えられても、自ら何かを問う術は知らない。目標は達成できても、目標を設定する術は知らない。物事をやり遂げる方法は考えても、それがやるに値することなのかどうかは考えない。こういったリーダーです。
 いまの米国にいるのは、ひとつのことには優れているが、自分の専門分野以外には全く関心を持たない、世界史上最も優秀な専門家たちで、逆にいないのが「リーダー」なのです。
 言い換えれば、「考える人」がいません。物事を自分で考えられる人。国や企業、大学、軍の新しい方向性や、物事の新しいやりかたや見かたを発案できる人。つまり、ビジョンを持った人がいないということです。
 「真のリーダーシップ」とは、自分で考え、信念に従って行動できることです。>(COURRIER japon 2011年july号 p.87)
デレズヴィッツはまた、優れた人はいろんなことをいっぺんにこなすというマルチタスクは幻想であると言い、「真のリーダーシップ」を培うためには考える時間をとることが必要で、そのためにはあえて自ら孤独を選びとることも重要だと述べている。
この講演は、2011年度の「全米雑誌賞」のエッセー部門でファイナリストに選ばれているとのことだ。

引用ばかりでおなかがいっぱいになってきた。
現代人が考えるためにまとまった時間をとる難しさは重々承知の上である。
ドラッカーは自分の時間の使い方を記録し、すべきこととすべきでないことを整理し、すべきでないことを止めてできた時間をまとめあげることを勧めている。
自分で自分の時間をすべてマネジメントできる者ばかりではなく、もちろんぼく自身もその一人だ。
ぼく自身がいいなと思っているのは、通勤時間をインプットに充てるのではなく、「自分自身を振り返る」時間にするという方法である。
大塚寿『40代を後悔しない50のリスト 1万人の失敗談から分かった人生の法則』(ダイヤモンド社)と言う本の184ページに載っている。
まあ通勤時間を考える時間に充てるといっても、考えていることといったら「通勤電車の中でカンフーやってたらジャッキー・チェンの映画みたいだな」といったことばかりなのですが。

それじゃまた。
(FB2015年2月12日を再掲。ちなみにこの時点ではまだ『ゼロ秒思考』読んでません)

 

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