テロとトリコロール

パリでの同時多発テロを受けて、facebookのプロフィールをトリコロールに変えるべきか否かで論争が起きているという。
結論から言えば、好きにしろ、であろう。

反対派は言う。
「パリのテロは痛ましい。しかしパリ以外でも毎日テロは起きている。ベイルートで、バクダッドで、日々人々は死に続けている。パリだけを悼むのはなぜなのか。facebooktwitterが欧米の文化によるものだからではないか」。
確かに。

ライムスターは歌う。
911エブリデイ 驚くよなこたぁ別にねえ

ミサイル 弾丸 雨降りで ただしカメラ回ってねえ国で
911エブリデイ 驚くよなこたぁ別にねえ

ミサイル 弾丸 雨降りで もうできりゃすべて目ぇつぶりてえ>(『911エブリデイ』)

 

テロの被害に遇っているのはパリだけではない。

しかし自分の知人や友人が住んでいたり、旅行で訪れたりしたことのある土地と人々に対して、より強い思い入れを抱くのは無理もないことではないだろうか。パリの人たちが同じ熱量の思い入れを日本に持ってくれているか否かは知らないが。

 

いかなる理由があってもテロは許されないということを改めて確認しておく必要がある。何度でも引用するが、「右翼は凶暴で左翼は冷酷だ。イデオロギーによって結果が肯定されるわけではない」(ゲバラの言葉とされる)。信仰が理由であろうがなんだろうが、罪のない人々(殺すことも殺されることも覚悟していない非戦闘員)を殺害することが肯定されるわけがない。
思想や信仰の問題ではない。イスラム社会による欧米への報復がどうとかでもない。
Live、生きること、生命を真逆に扱うことこそがEvil、邪悪だ、という生活者のシンプルな善悪観こそ、すべての価値判断の根底に据えるべきものなのだろう。