流行語大賞「爆買い」「トリプルスリー」から格差社会を考える

「トリプルスリー」「爆買い」が流行語大賞に選ばれたというので、過去の大賞を調べてみた。
2014年は「ダメよ〜ダメダメ」と「集団的自衛権」、2013年は「今でしょ」「じぇじぇじぇ」「倍返し」「お・も・て・な・し」、2012年は「ワイルドだろぉ」で、あれってそんな前だっけなんて感慨深い。

今回驚いたのは二点。
一つは小島よしおの「そんなの関係ねぇ」がトップテンに選ばれたのが2007年だということ。2008年に流行語大賞をとったエドはるみの「グ〜!」がすでに人々の忘却の彼方に消えたことを思うと、一発屋と言われながらもギャグは皆の記憶にとどまり、本人もイベントや幼稚園まわりなどで活躍中というのはスゴい。裸一貫の男の強さを感じさせる。

もう一点驚いたのは、今から10年前の2006年のトップテンに山田昌弘教授の「格差社会」が選ばれていたことだ。正確に言えば、10年前に「格差社会」が問題提起されていたことではなく、10年前に問題提起されながらも、10年間問題解決の取り組みがたいしてなされないでいたことに驚いた。
というわけで、「格差社会」について考えてみることにする。
まず格差社会の是非について己の立ち位置を明確にしたい。
個人が逆転不可能なほどの格差の固定、世代を越えた負の格差の遺伝については否定的である。後者について、正の格差=富の継承についてまで認めないとすると相続税100%、私有財産の否定まで行き着く可能性があり、そこまで過激な立場は現実的でない。

個人の才能や努力の結果生まれる格差は当然是とする。
そうすると、「どこまでの格差なら許容できるか」という話になってくる。
結論から言えば、「笑って同窓会が開けるほどの格差」が望ましいと思う。

総論として「貧困層はどうなってもいい」と極論を吐ける成功者も、ともに学んだ同級生が困窮するさまは見たくないだろう、たぶん。残念ながら成功者とはいえない同級生が、大成功した元学友のことを怨みや妬みの感情で見つめ、「あいつも失敗すればいいのに」とささやきあう社会は不健全だ。健全な社会というものは、成功者となった同級生のことを「俺たちの仲間が立派に成功した。母校の誉れだ。俺たちも奴を見習ってそれぞれ頑張ろうぜ」と同窓会で言える社会のことだ。

たぶん、大切なのは成功者の脚を引っ張ることではなく、社会の底上げなのだろう。

10年後、私たちは「格差社会」という言葉を、死語にできているだろうか。