冬至に思う(R)

サンスクリット語で「心身のやすらぎ」「休息の場所」を意味するそのホスピスは、京都のはずれにあった。
ひとしきりホスピスの中を案内してくれたあと、事務長さんがぼくを庭に誘ってくれた。
寒い季節だったけれど小春日和の庭は暖かく、ベンチに腰かけてポツリポツリと事務長のUさんは言った。
「開設したばかりの時は患者さんも2,3人で、そのうちの1人の方と一緒に、庭にマリーゴールドを植えたんです」
ベンチの前の花壇に目をやる。
「その患者さんが亡くなったとき、息子さんが、マリーゴールドの種が欲しいっておっしゃったんで、花が枯れてから種を差しあげたんです。綺麗な花が咲いたそうですよ」

 

「行きましょうか」
しばらくの沈黙のあと、Uさんが立ち上がった。
ぼくもベンチを後にして、食堂の水槽の前に立つUさんに追いついた。
グッピーやメダカを飼ってるんですけどね。患者さんたちがみんなかわいがってくれるせいか増えすぎちゃって」
Uさんは穏やかに言う。
「欲しいというご家族も多くて、お分けしてるんです。ここでは年に2回、遺族会をやって、亡くなられた患者さんのご家族に来ていただいています」
しばし無言。
遺族会でね、ご家族が言ってくれるんですよ。……事務長さん、いただいたグッピー元気ですよって」。
一本のたいまつは他のたいまつに火を分け与え、そして炎は永遠に燃え続ける。

 

今日は冬至
一年で一番昼が短くなるこの日を、古代の人々は太陽が最も弱り、そして再び力を増していくはじまりの日と考え、再生と復活の日とした。
生と死のはざま、命が再び始まる冬至の夜に思い出した、マリーゴールドグッピーのこと。
(FB2013年12月23日を再掲)