武蔵野とK先生、そしてパンのこと(R)

武蔵野を通るといつも切ない想いにとらわれる。
別に初恋の人がいたとかそんな話ではない。
K先生の家があるのだ。

K先生は軍事思想や戦略の研究家で、何度かご自宅にお邪魔した。
こじんまりとした家には1階にも2階にも本がいっぱいで、ところせましと積まれた本からにじみ出る歴史の香りで充満したその部屋には、小さなマリア像が置いてあった。
軍事思想の研究と敬虔なクリスチャンというのが正直すぐには結びつかなかったけれど、時がとまったような静謐なその空間で、K先生はいろいろなことを語ってくれた。
書棚から一冊の古い本を取り出して、「これはモルトケが書いた恋愛小説」と嬉しそうに見せてくれたり、「救急医療のトリアージというものは、キリスト教精神とは相入れないものかも知れないよ」と少しばかり熱を帯びた口調で話してくれたり。
そのたびにこちらは己の知識不足を恥じながら、ただただうなづくだけであった。

「ぜひ連れて行きたいところがある」。
そう言われてK先生に連れられていったのがハンセン氏病の療養所だった。
ひっそりと、でも確実に今も生活が送られているその場所で、ぼくらはハンセン氏病の資料館内で展示を見てまわった。
多少は聴いたことのあった我が国のハンセン氏病をめぐる歴史を、きちんと系統立てて知ったのはそのときが初めてであった。
軽々しく語ることはできないけれど、避けることができたはずの、長年に渡る無数の悲劇がそこにはあった。
療養所の庭の芝生で、近くのパン工場から買ったパンをぼくらにふるまいながらK先生は静かに言った。
「専門家という存在が、国家というものと結びついて暴走したときにどんな悲劇が国民にもたらされるのか、君たちは知らなきゃならない」。
曇り空のした、ぼくたちはただ黙ってただパンをかじるのだった。

あの日のことをいつも思い出す。
今日もK先生の家の最寄駅を通過したが、やはり降りることはなかった。

K先生が戻らぬ旅に出てから、もう2年以上が経った。
(FB2013年9月23日を再掲)