50歳成人説―AERA『50歳の新・幸福論』を読んで。

「あのさあ、俺は50歳になってな、はじめてやっと大人になったって気がしたよ」。

と、その人は言った。彼は年上の知人で、やり手のビジネスマンだ。

50歳になってやっと大人?

ぼくは一瞬耳を疑ったが、一方で妙に納得する気がした。

 

30歳成人説というものがある。

日本の社会では20歳で成人式をやって20歳で大人ということにしているけれど、寿命が延びた現代社会では昔の20歳と同じくらいの精神年齢になるには30歳くらいがふさわしい、むしろ30歳を大人のはじまりとすべきだ、という説である。

ぼくは今40代前半だが、お前はほんとうにちゃんとした大人かと問われたら答えに窮してしまう。もちろん仕事はしているし、子育てもしている。
だが子供のころ想像した立派な大人になっているかというと、その答えは「・・・」だ。

自分で言うのも恥ずかしいが、どこかでちょっと前まで10代、20代だったという感覚がある。大人の階段を上っている最中だが、立派な大人になりきってはいない、という感じ。
周りの同年代を見てもいわゆる落ち着いた大人にはまだ早い。

AERA4月25日号では、『50歳の新・幸福論』という特集をしている。表紙はウッチャンナンチャン内村光良(51)。本文にはサッカー選手のゴン中山(48)、マンガ家西原理恵子(51)などが並ぶ。みなまだ若いが、若過ぎない。大人、だ。

大人の条件とはなんだろう。
大人とは、最終責任者だ。何かを決めたとき実行するとき、自分の後ろにだれもいない怖さを引き受けるのが大人だ。

大人とは、知識kwowledgeを知恵wisdomに変えた者だ。知識だけの頭でっかちではなく、そうした知識を有効に使いながらも知識の限界を知る知恵を持つのが大人だ。

大人とは、人生の有限性を体感した者だ。人生の有限さを知り、すべては過ぎ行くものだと知っているからこそ優しくなれるのが大人だ。弱さやはかなさやもろさをひっくるめて人間という存在、人生という行為を愛おしめるのが大人だ。

 

ぼくは今40代前半だけれども、もう十年ほど、よくわからないままあがいてもがいて苦しんで、それから憑き物が落ちるようにそんな立派な大人になっていくのも決して悪くはないような気がしている。

 

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