フランス人D君が教えてくれた日本人、ヨーロッパ人、アメリカ人の違い-HowとWhyとHow much(R改)

なにか仕事をやるときによく思い出すのが数年前に聞いたフランス人D君の言葉だ。
D君はフランス人だが、「D・八郎」、「夜のサイトーくん」の異名を持つ、日本と日本語に精通している大変に優秀な人物である(ただし剣道は嫌い。痛いから)。

 

「なにかをやるとき、ヨーロッパ人がこだわるのはwhyだが、日本人はhowにこだわる。そしてアメリカ人が最もこだわるのはhow muchだ」。

アメリカ人のこだわるhow muchが、単に「どれくらい」という量的な意味なのか、それとも「いくら」という金銭的な意味なのかは確認し損ねたが、D君の指摘には非常に考えさせられた。

 

仕事にとりかかるとき、日本人は「どのようにやればよいか」ということは割合うるさく確認するが、「なぜその仕事をやるか、やらなければならないか」というところは結構あっさりしている。
日本人にとって「ひとはどのように生きるべきか」という問いかけはとても琴線に触れるが、「ひとはなぜ生きるか」と問われてもピンとこない。茶道や華道など、いわゆる「道」はいってみればhow、どのようにの結晶だし、出版不況のなかでもhow toものはよく売れるそうだ。

 

それに対しヨーロッパでは「ひとはなぜ生きるのか」「なぜその仕事をしなければいけないか」流のwhyの問いかけが古来より盛んである。大正末に来日し弓道を学んだドイツ人オイゲン・ヘリゲルの「日本の弓術」(岩波新書)という本も、why、why、whyのオンパレードだ。
そしていうまでもなく、アメリカではどれだけ稼いでいるか、winnerかloserかがなににもまして最も大事とされているように見える。

 

仮にそれぞれの文化のこだわりポイントがその通りだとして、これらはどれも一長一短で、なにが偉いというわけではない。
日本人はhow、どのようにやるかについてのこだわりが強すぎて、袋小路に入り込んでブレークスルーできないし、whyについてはあっさりしているので白洲次郎に「プリンシパルがない」と怒られる始末だ。
ヨーロッパ人はwhy、なぜの答えが出るまで動けないので、アクティブで気の短い連中は新大陸に飛び出していった。
そんな気の短い連中の作ったアメリカでは、how much、いくらもうかるのか、何万ドル稼げるかの追求に走りすぎた結果、1%と99%の対立を生んでしまった。ドナルド・トランプ氏も、どれだけ票を獲れるかhow muchにはご執心だが、候補者としてどうふるまうかhowやなぜ大統領に自分がなるべきかwhyには無頓着だ。

 

だからといってどうということはないが、自分が所属している文化がどのような思考と志向と嗜好を持っているかを自覚するのは大事なことである。

 

ここまで書いてきて、我ながら非常に強引で生煮えな話だなと思いつつ、
しかしそれよりなにより最も深刻な問題は、オチが準備できていないことである。
こんなとき、どのようにオチにたどり着くか考えてしまうぼくはとても日本人的で、
もしこれがアメリカ人なら、そのオチでいったい何万ドル稼げるかが大事になるだろう。
そしてまた、もしぼくがヨーロッパ人であれば、そもそもなぜオチなんてものがこの世に必要なのかを徹底的に考え抜くことになるのかもしれない。

(FB2013年4月25日を加筆再掲)

*2022年6月12日付記:メディア・アーティストの真鍋大度氏も、作品を発表すると<(略)日本では「これはどうやってつくっているの?」と、仕組みを聞いてくる人が多かったんですね。でも、ヨーロッパの人、特にフランス人には、「なんで、こんなことをするの?」と聞かれることが多かった。日本だと「HOW?」で、ヨーロッパだと「WHY?」だったんです。>と書いている(『本木雅弘×真鍋大度 仕事の極意』株式会社KADOKAWA 2016年 p.134)

 

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