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フランス人D君が教えてくれた日本人、ヨーロッパ人、アメリカ人の違い 3-「道」は結局どこにたどりつくのか(R)

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我ながらしつこいが、もうちょっとだけ「ヨーロッパ人はwhy,アメリカ人はhow much,日本人はhow」について考える。

 

アメリカ人のこだわるHow muchは、摩天楼や、ビル・ゲイツザッカーバーグ、持てる1%と持たざる99%に行きつく。
ヨーロッパ人のWhyは、明証、分析、総合、枚挙の四原則によって「ワレ惟(おも)ウ、故ニワレ在リ」(デカルト方法序説』 岩波文庫 p.46)に至り、同時に、不完全な自分なのに完全性が分かるのは、完全な者がその概念を与えたはずだ、だから完全なる者=神が存在するのだ(同書 p.49)、というところに辿りつく。

 

それでは、我らがhow、「どのように」はどこへ到達するのだろう。
言い換えると、「どのように」の集積である「道」はどこへ向かうのだろうか。

 

一つの答えは、どこへも辿りつかない、というものだ。
すなわち、「どのように」=「道」の永遠の追求自体が目的地であり、なんらかの定常状態にはいつまで経っても落ち着かないのかもしれない。それはあたかも永遠に0に近づき続ける漸近線の如く、理想形や完全体に永遠に近づき続けるが達しないムーブメントだ。究極の真・善・美を求め続ける旅そのものが、日本の求道者の願いなのかもしれない。
俳句の道を求め続けた芭蕉の生涯最後の句は、「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」だった。

 

「道」はどこにたどりつくかのもう一つの答えは、「無」だ。

中島敦の短編、『名人伝』は弓の道を究めた男、紀昌(きしょう)の話である。
紀昌は名人、飛影(ひえい)に弟子入りし、何年もの修行の末に百発百中の名人となる。速射をすれば的中した矢の後ろに次の矢が刺さり、落ちる間もなくその次の矢が刺さる。次々と速射して百本の矢がまるで一本の矢のように連なり、的と弓を一直線につなぐほどの腕前となる。
もはや師、飛影も恐るるに足らずと思った紀昌は、さらにすごい老師がいると聞き、西へ旅立った。

 

山奥で、百歳を超えるよぼよぼの老師は言う。
お前のはしょせん射之射(しゃのしゃ)だ、大事なのは不射之射(ふしゃのしゃ)だ。
そういって老師はなにも持っていない手に見えない弓を持ち見えない矢をつがえ、空高く飛ぶ鳥を射落とした。
弓の道を究めた老師には、もはや弓も矢も要らないのだ。

 

話はそれで終わらない。
老師のもとで9年間修行し山を降りたとき、紀昌はすっかり変わってしまっていた。
「以前の負けず嫌いな精悍な面魂は何処かに影をひそめ、何の表情も無い、木偶の如く愚者の如き容貌に変わっている」(中島敦 『李陵・山月記』 新潮文庫 p.30)のだ。それだけではなく、並ぶもののない名人になったはずの紀昌は、いつまで経っても弓を射ろうとしない。
それどころか、友人の家に置いてある弓と矢を見て、心底不思議そうに聞く。
「これはなにをする道具だ」、と。
とうとう死ぬまで紀昌は弓を射ることはなかった。
弓の道を究めに究めたその先が、弓も矢も忘れ去り、ただただ無為。

 

面白いことに、『名人伝』のモチーフの中国の古典、列子の湯問編では、山奥の老師の不射之射の話も、弓道を究めつくした紀昌が弓も矢も忘れ去る話は出てこない。たんに紀昌が師の飛衛を殺そうとするが互角で叶わず、互いを認め合って親子の契りを交わす話しだ(列子では飛「影」ではなく、飛「衛」表記。『中国の古典⑥ 老子列子徳間書店 p.237-8)。

 

名人伝』の後半部が中島敦のまったくのオリジナルなのか、ほかの古典に似た話があるのかはわからないが、「道」を究めつくした先が「道」そのものを忘れ去り、「道」の先には「無」がある、という感覚は、なんとはなしに日本人にはしっくりくる。

 

似た例として、会田雄次は、大山巌元帥や、西郷隆盛の話を挙げている。
誰よりも砲術の「道」を究めた大山巌元帥が激戦中に、「大砲ってのは、上に向くほど遠くに行くのかな」と部下に尋ねた、という(会田雄次 『日本人の意識構造』 講談社現代新書 p.70-72)。

また、西郷隆盛と言えば上野の銅像の朴訥としたイメージだが、よくよく考えると実は彼は明治のスーパーエリートだ。
「その彼の全努力が、ぼけることに傾注され、あの茫洋たる大南洲翁が出現したとき、国民の敬慕が集中したのだ」(同書 p.88)。
ここでも、「道」を追求しつくした先には「道」すら忘れて「無」となるのがよい、という日本人のある種のフィーリングを感じることが出来る。

 

How=「道」を究めた先にはただ「無」がある。それはけっして消極的な「無」ではないのだろう。
「道」は長く曲がりくねっているが、「道」を究めきって関所を越えたときには、東西南北に活路が開け、なににも捕らわれることのない自由自在、天衣無縫の積極的な「無」があるのではないか。

 

「道」の一つ、茶道では、所作の一つ一つがこと細かに決まっているが、茶道の祖、利休は「茶の湯とは ただ湯をわかし 茶をたてて のむばかりなる 事と知るべし」という言葉を残している(千宗室・千玄室 監修 『裏千家茶道』 今日庵発行 p.40)。
(FB2013年5月10日を再掲。もうちょっとだけ続く)

 

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