テレビのニュースキャスターは興奮気味に何かを語るけれど、言ってる意味がわからない。
早口のポルトガル語が右から左へ抜けていく。
画面の下に小さな文字でテロップが出て、倒壊したビルがニューヨークの貿易センタービルだとわかる。
ガス爆発?飛行機事故?
テレビのニュースがCNNに変わり、画面の下に英語のテロップが次から次へと流れる。
......テロ?
......全米の空港は無期限閉鎖?
場合によっては数ヶ月の閉鎖も有りうる、だって? 帰れないじゃないか!
自分の状況がわかるにつれて、ぼくはちょっとした混乱状態に陥った。
とりあえず、今すべきことは......まずは、飯を食おう。
食堂に入り、
名前も知らない見たこともない食べ物をつつきながら、よくよく状況を考えてみる。
もともとの予定の、ニューヨーク経由のコンチネンタル航空はいったい飛ぶのだろうか。最悪の場合、ブラジルから出られない恐れもある。
キャンセル待ちをするにしたって、リオ・デ・ジャネイロから数時間のこんな片田舎では不利だ。
仕事もあるし、帰れなければ何日でも(場合によっては何ヶ月でも)滞在延長する、
というわけにはいかなかった。
ホテルに帰り、
コンチネンタル航空の事務所に電話してみる。
話し中で何度かかけなおし、電話がつながった。
「うーん、まあ、あなたの便は数日先なので、大丈夫だとは思うんだけど....。
詳しいことはアメリカの空港が再開するかどうか次第なんでね。」
電話相手はそう言って、また明日電話してくれと付け加えた。
心配しても
仕方ない、と再び町へ出る。
レコード屋からも服屋からも音楽があふれている。
果物屋の店先には、色とりどりのフルーツがならぶ。
空は青く、陽射しは強い。海から生暖かい風が吹く。
民芸品市場を
買うあてもなくプラプラと冷やかしていると、遠くで喧嘩の声がする。
どうせ明日コンチネンタル航空の事務所に電話すること以外に予定はない。
ブラジルでの喧嘩見物もオツなもの、と喧嘩の声がする方向へ向かう。
何人かのヒマなブラジル人たちが、言い争いをする二人を面白そうに囲んでいる。
見物人が見ているのは、店の親父ともう一人、デカい声の日系人の女性であった。
口喧嘩の主は
土産物屋の主人の中年男と日系人の二十歳過ぎの女性。
黒いタンクトップにだぼだぼのアーミーパンツの若い女性は
早口のポルトガル語でマシンガンのように何事かをまくし立てる。
土産物屋の主人は「ああ」とか「うん」とか短い相槌を打つ。
大きな声でしゃべりつづける女性は、身振り手振りを交え
しきりに店の売り物を指差している。
不思議なことに
時折土産物屋の主人はにやりと笑ったりする。
阿呆のようにぼんやりと、十数分程二人のやりとりを眺めていた。
そのころになると、ポルトガル語のわからないぼくにも事情が少し飲み込めてきた。
喧嘩ではなく、若い女性は値段の交渉をしているのである。
それも、ものすごい勢いで。
三十分は経っただろうか、
テロのせいでこちらも明日をも知れぬ身、明朝一番に航空会社へ電話をするくらいしかすることはない。
元より興味本位で地球の裏側まで来る物好き、グローバルでワールドワイドな野次馬なので、面白い光景は飽きるまでみていたかった。
そんなこんなで、女性が値切っているさまを最後の最後まで見ていた次第。
と、
突如女性がこちらを向いて口を開いた。
「旅行?」
それも自然な日本語で。
日系人独特のイントネーションもなく、まるでクラスメイトに話しかける大学生のように当たり前の口調で彼女が話しかけてきた。
さっきまでの
ポルトガル語のマシンガントークのせいで、日系三世だとばかり思っていた、
自然な日本語で話しかけられたんでちょっとびっくりしたよ、そう彼女に言う。
「まあね」
あまり興味なさそうに彼女が答える。
「6週間もブラジルを一人旅してると、馴染んでくるみたいだよ。」
彼女の返事を聞いて、ぼくはまた驚いた。
ブラジル一人旅、6週間!
水平線に
太陽が沈みかかっている。
ぼくらは「上の町」に行ってお茶を飲むことにした。
おぼろげな記憶を辿りながら
この日記を書いている。
なので所どころ間違いや勘違いがあるかも知れないのでご容赦。
バイーアの町の中心地は
2つに分かれていて、高台にある「上」と、海辺の「下」で成り立っている。
町のメインの大部分は「上」にあって、ホテルや広場、商店街や食堂などがある。
「下」には港沿いに民芸品のマーケットがあったりする。
「上」と「下」は垂直な町営エレベーターでつながっていて、住人は1レアルの何分の1かのわずかなお金を払って「上」と「下」を行き来する。
ぼくらが居たのは、「下」にある民芸品のマーケットだった。
「上」と「下」から
成り立つ町。
町営の古いエレベーターで、何十メートルか毎日行き来する住人。
エンデの短編に出て来そうなこんな素敵な町で、帰れなくなって立ち往生するとはね。
そう思いながら、エレベーターで「上」へあがっていく。
ぼくと彼女は
「上」の広場にいた。
その日はちょうどフェスタがある日で、広場は褐色の肌であふれていた。
どうにかこうにか椅子を二つ確保し、ぼくらは話をし始めた。
(続く)