日常生活/アドベンチャー(R)

学生のころ、ローマでオーストラリア人の旅行者と会った。5人部屋でたまたま相部屋になったが、彼はとにかく洗練された旅行者だった。
 彼は、相部屋のみんなの目の前で無造作にぽーんと財布を枕の中に放り込み、その上に頭を乗せてとっとと寝てしまう。こうすると万一同部屋に不心得者がいても寝ている間にほかの荷物を荒らされないし、本気で狙いに来られたら嫌でも起きる。

同室者のアメリカ人の女の子たちが平気で着替えていても、眉ひとつ動かさず自分のブーツを磨き続けたりする。男女同室の5人部屋だったが残念ながら色っぽい話は無し。こういうところでは同室者はお互い空気のように振る舞うものだと学んだ。

バチカン市国の座席付きエレベーターで女性が乗ってきたら「Ladies!」と言ってさっと席をゆずるなど、彼はスマートでかっこよかった。

 

一緒にバチカンを見に行ったときに、そのオージーが学校を卒業したらお前は家族を持つのか、と聞いてきた。
たぶんそうだ、あんたはどうなんだと聞き返したら、彼は言った。
「試してみたさ、何回かね。だが、オレには向かない。
『あなた、どこに行くの』、『何をするの』、『買い物するからお金ちょうだい』、この繰り返しさ。
オレはやりたくないことはやりたくないし、やりたいことをやりたい。
思うままにこうして世界中を旅したり、アドベンチャーをしたいのさ」

 

あれから二十年以上(!)経って、ぼくは仕事を持ち子どもに恵まれ、思うままに旅する自由は失った。
小さい子どもと電車を乗り継いで出かけ、電車とホームの隙間に子どもの足がはまらないか心底ヒヤヒヤしたりする週末を過ごしている。

どこの国でも思うままに一人でふらりと出かけて行くなんてアドベンチャーは、夢のまた夢の日常。


まあでもなんというか、半径数千キロのアドベンチャーもあれば、半径数キロのアドベンチャーもある、ということなのかもしれない。オージーの彼は半径数千キロのアドベンチャーを選び、ぼくは半径数キロのアドベンチャーを選んだ、というだけの話、と思うことにしよう。

負け惜しみかもしれないけれど、幼い子どもと一緒の日常は、発見の連続だから。

 

「ラ・ルー ジェリー・リー・エッグプラント ルーファス ダミー スター それにグロブ
名前を全部覚えるにはコンピューターが必要だな
赤ん坊のことなんかに深入りしたくはないんだけど
ワイフが言ったことが本当ならいいね
ねえ すごい大冒険のはじまりなの
グレイト・アドベンチャーがはじまるのよ、ってさ」(意訳)

今は亡きルー・リードのアルバム『Ner York』の中の一曲、「ビギニング・オブ・グレイト・アドベンチャー」の一節だ。子どもが生まれると聞いて、戸惑いつつも喜ぶロッカーの歌。

 

帰宅して、子どもを風呂に入れながら思う。

今週も、日常生活という名のアドベンチャーが始まった、と。

(FB2013年4月22日を加筆再掲)

 

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