選挙直前に思う(改題)

いいくにつくろう選挙日。投票日はぜひとも投票所へ。

 

景山民夫のエッセイに、『だから「走れメロス」は恥ずかしい』という話がある(『ONE FINE MESS 世間はスラップスティック』収載)。
バーで飲んでいて、隣の客といつとはなしに話し始める。
今まで生きてきて、思い出すと恥ずかしくていてもたってもいられなくなることって何でした?
どちらともなくそんな話になる。

 

学校でもらしたとか、落とし穴に落ちたとかってのは案外あとになると恥ずかしくない。そんなのは、そんな時代があったねといつか笑える日が来るさ、なのだ。

何度思い出しても顔から火が出るくらい恥ずかしい思い出というものは、背伸びし過ぎてトンチンカンなことを偉そうにやってしまったり、訳知り顔で見当違いのことを威張ってひとに話してしまったり、たかをくくって他人のことをわかったように評価したけどそれが後から考えたらおおはずれだったときのことなのだ。
景山民夫にとってそんな恥ずかしい話は『走れメロス』なのだというエッセイであるが、そのワケはぜひ原本をお読みいただきたい。

 

ぼくにとってそんな恥ずかしい話は選挙についての思い出だ。
自分が出たとか出ないとかって話もあるが、それよりもなお恥ずかしいのは訳知り顔で語ってしまったパターン。たぶん前も書いたけど大事なことなのでまた書きます。

 

何年も前、子育てパパ業界のドン、ロックな兄貴のAさんにお目にかかった時のこと。
どうして日本では高齢者向けの予算は多いのに子育て支援の予算は少ないのかという話になった。
それはですね、子育て世代が政治に無関心だからですよ、高齢者は真面目に投票に行くし、数も多いから、特に政治の世界では多数派になるんです。
政治って、多数派が優遇されるように出来てるんです。
今よりちょっとだけ若き日のぼくが少々得意気に言った。
恥の多い人生である。

 

「ふーん」
興味無さげにAさんが続ける。
「でもさ、そんな声無き声の少数派にもきちんと目を配るのがほんとの政治なのにね」

ぼくは訳知り顔で偉そうに話した自分が、なんだか恥ずかしくなった。

時は流れ、ゆやーんゆよーんと幾つかの選挙が過ぎていった。
そのたびごとに未熟だった自分を思いだして人知れず赤面している。

 

さはさりながら(業界用語)、そうはいってもやはり選挙に行かない人たちのニーズは後回しにされるのもまた事実。
ただこれは、政治の世界が特殊だからではない。
もちろん選挙はあくまで政治の一側面でしかないが、選挙は限られた票の取り合いである。お店でいえばお客の取り合いをしているようなもの。
投票所に行って誰に投票しようか迷っている状況というのは、商店街やショッピングモールに行ってどのお店に入ろうか迷っているのとそっくりだ。
一番多くお客(=有権者)を獲得しないと店がつぶれるという時に、誰が商店街やモールに来ようともしない人のことを気にかける余裕があるだろうか。

 

あるいは、一票を投じその後もああだこうだと当選した政治家に意見する有権者のことを、ウルサ型の常連客に見立てることもできるだろう。どの業界だって、そこに一理があれば、ウルサ型の常連客の意見はほかの意見よりも優遇されるものだ。
もっと良い政治をと望むのなら、ウルサ型の投票所常連客になるのがノーリスクで手堅い方法である。

 

だからやっぱり選挙のときは投票所に足を運ぶことを強くお勧めしたい。
お読みいただいて一人でも二人でもきちんと投票に行こうと思ってくれる人が増えたとしたら本当に嬉しい。

仮に何年か経ってこの文章を読み返し、『だからブログは恥ずかしい』と思うようになったとしても、それはそれで本望である。
(FB2014年12月13日を加筆再掲。
2021年10月20日に改題・加筆)

 

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