「あーあ、だから言ったのに」
もしもぼくがイチローだったらたぶんそう言うだろう。
先日NHKで放映された『健康格差』という番組を観ながらそう思った。
もっとも、イチローと言ってもイチロー・スズキではなく、イチロー・カワチのほうだが。
イチロー・カワチはハーバード大学公衆衛生大学院の教授で、所得格差が健康の格差につながるという問題などをずっと研究しているビッグネームだ。
ご自身の言葉を借りれば
<「なぜ、ある社会の人々は健康で、ある社会の人々は病気になりやすいのか」
この質問に答えるために20年以上研究を続けてきました。>(サイト「Society and Health Lab」
Society and Health Lab|Ichiro Kawachi イチロー・カワチ より)
カワチ教授は一般向けに本も出していて、邦題はずばり『不平等が健康を損なう』(原題はThe Health of Nationsで、アダム・スミス『国富論/諸国民の富』The Wealth of Nationsをふまえたものだと思われる)。
イチロー・カワチ教授は10年以上前から日本社会に対して警鐘を鳴らし続けていた。「所得格差は健康に対して有害なのは明らか。日本社会はアメリカ社会を他山の石とすべし」と。2007年には「日本人の健康ーアメリカにおける教訓から何を学ぶべきかー」という論文も出している(J.Natl.Inst.Public Health 56(2) 117-121)。
NHKの番組『健康格差』では、日本人の寿命が収入や居住地、正規雇用か非正規雇用かによって大きく異なるというテーマを扱っていた。カワチ教授も番組の冒頭にインタビューを受けていたが、内心「所得格差は健康格差を生む。アメリカみたいになるなって10年以上前からあんなに言ったじゃないか」と思っていたのではないかと推測申し上げる。
NHKの番組では「健康格差は自己責任」「健康格差は社会問題」という意見対立がたびたび繰り返されていた。所得が低くても、運動を心がける、栄養に気をつけて食事を摂るなどの努力はできるはずで、低所得者が健康を害してもそれは自分のせいだ、という意見が視聴者からも寄せられていた。
そこについて番組は結論を明確には出しておらず、イギリスで国主導で減塩をしたことによって脳卒中などが減った話や足立区の糖尿病対策などの話が解決策として提示された。
イチロー・カワチ(公人なので敬称略)の立場はより深遠だ。
上掲論文によれば、所得格差が大きい社会において、相対的貧困が健康に悪い影響を与える(これはNHKでも触れていた)だけでなく、「たとえ(平均)所得は同じでも、より不平等の度合いが大きい社会に住む個人は、より平等な社会に住む個人に比べて全員の健康レベルが一様に低くなり、誰も逃れることは出来ない」(p.118。一部補足修正)という。
高所得者は「所得格差が健康格差につながるというがそれは相対的貧困者の話。自分には関係ない」と思うかもしれないが、不平等社会においては高所得者の健康レベルも一様に下がるのである。巨額の医療費を投じながらも平均寿命は今ひとつな、所得格差大国アメリカをイメージしていただきたい。
相対的貧困そのものが主観的健康観を減じ、<相対的貧困が25%増加すれば、精神異常(mental disorder)が9.5%増加する>(p.118)という。相対的貧困による不健康が増えればその分医療サービスの利用が増え、結果的に高所得者がアクセスできる医療サービスの量は減る、といえば多少イメージしやすいかもしれない。
また、相対的貧困により結核などの感染症が増えれば高所得者も影響を受ける。
また、健康には社会的凝集性/ソーシャル・キャピタルが有用だが、不平等社会ではその社会的凝集性/ソーシャル・キャピタルも減る。ソーシャル・キャピタルを意訳すれば「社会的つながり」「社会の絆」ということになるだろうか。
引用論文ではAndersonらの実験を論拠にしており、これが興味深いので孫引きだがご紹介したい。こんな実験だ。
何人かの実験参加者に仮想上のお金を配る。
配られたお金は、個人口座と公共口座に自由に配分(=投資)してよい。たとえば100ドル配られたら、80ドルは個人口座、20ドルは公共口座というふうに自由に振り分けることができる。
個人口座は固定金利を得られるが、公共口座の金利は、多くの参加者が協力するほど上がるという設定だ。
さて参加者たちは、どのように配られたお金を配分したか。
実験の結果はこうだった。
コインが平等に分配されると参加者はみんなのために行動し、不平等に分配されるほど参加者は利己的に行動する傾向があった。
つまり初期の段階で均等にコインが参加者に渡された場合は、参加者はみなで公共口座にお金を多く入金し、その結果公共口座の利率も上がってみなが得をした。
しかし初期段階で、たとえば参加者Aさんには1万ドル、参加者Bさんには10ドルというふうに不平等にコインを分配すると、みな個人口座にばかり入金し公共口座にはほとんど入金しない、という行動パターンが観察されたという。
これは、不平等な社会であればあるほどお互いに協力しなくなり、「社会的つながり」「社会のきずな」も弱くなることを推測させる。
そうした「社会のきずな」が弱まることで、不平等な社会では参加者全員の健康レベルが下がる、というのがイチロー・カワチの(この論文での)主張である。
健康格差問題では往々にして、「自分は努力して健康に気を付けながら仕事もがんばり成功した。だから相対的貧困は自己努力が足りないせいだ、自己責任だ」という言葉が飛び交って議論を終わらせてしまう。しかしそれは「生存者バイアス」かもしれない。
また実際には社会の不平等の拡大は一定時間をかけて連続的に進んでいくので、特に高所得者が『所得格差が健康格差につながる』ことを我がこととして感じることはないかもしれない。所得格差が広がるとソーシャル・キャピタルが減るといっても、多くの場合高所得者は高所得者同士の「つながり」があったりする。
だが少なくとも、「所得格差が大きく健康格差も甚だしい社会では、社会の構成員全員の健康が損なわれる」という有力な学問的意見が10年以上前からあることは広く知られるべきであろう。