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人生最期の日を考える。

雑誌『女性セブン』をパラパラとめくってきたら<人生最後の日、あなたはどう向き合いますか?>という文字が飛び込んできた(10月13日号 p.142-143)。ホスピス医・小澤竹俊氏の連載の第2回だという。

高齢化を反映してか最近「終活」ブームで、あちこちでこういう話を見かける。

 

人生最後の日とどう向き合いますかと誌面に問われて考えた。

自分だったらどうするだろう?

 

オランダには、病気や寿命でもうあと1日くらいしか生きられない状態になった人の「死ぬまでにしたい1つのこと」をかなえてくれる「アンビュランス・ヴェンス」という慈善団体がある。設立者はケース・フェルトボア。

 

<救急車の運転手として働いていた2006年、末期患者を転院先の病院に搬送していたところ、受け入れ態勢が整っていないからもう少し待ってほしいと病院側に言われた。そこでフェルトボアが、患者に行きたい場所はないかと尋ねると、かつて船乗りだったその患者は、ロッテルダムの港に最期の別れを告げることを望んだ。港で1時間過ごした患者の目には涙が溢れていた。>(クーリエ・ジャポン December 2015 p.61。元記事はBBC

 

こんなふうにこの団体は、ベッドやストレッチャー(病院で使う患者さんを移動させる車輪のついたベッドみたいなやつ)に患者さんを載せて、希望の場所に連れていってくれたりもする。必要なら吸入用の酸素なんかも一緒に持っていって思い出の場所に連れていってくれるのだろう。

「死ぬ前にもう一度レンブラントの絵が見たい」と患者さんが希望すれば美術館に連れていくし、「海風を味わいたい」と言えば海に連れていってくれる。アムステルダムのコーヒーショップに行きたいと言えばたぶんそれもOKで、いまわの際の願いを一つ叶えてくれる組織ということでなかなかに夢がある。

こうした活動は、イスラエルやベルギー、ドイツ、スウェーデンにも広がっているという。

 

もし日本にもこうした組織が出来たとして、自分だったら人生最期の日にどこに連れていってもらうだろうか?

 

太平洋を見に九十九里海岸に連れていってもらうか、富士山を遠くから眺めるのもよい。

遠出ができるなら北海道の清涼な空気を最後に吸っておきたい気もするし、むわっとする熱気の沖縄で三線の音色を聴きながら意識が遠のいていくのも捨てがたい。

 

研修医のころ毎日通った病院までの桜並木の下で最後を迎えるのも乙なもので、「ねがはくは 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月のころ」なんていう西行の歌なんてのはひとつの理想形だよなあ。
<桜の木の下には屍体が埋まっている!>と言ったのは梶井基次郎だったが、誰だいこんなところに西行を埋めた奴は。

 

椎名誠が死ぬ前に見たいもう一度見たい光景は南米パタゴニアと北極圏だそうだ(中央公論10月号 p.103)。

ぼくはパタゴニアも北極圏も行ったことがないし、ピラミッドもナスカの地上絵も見たことがない。人生最期の日に、今まで行ったことがない世界の絶景に連れていってもらうというのもよいかもしれない。

とち狂ってシンガポールマーライオンコペンハーゲンの人魚の像、ブリュッセルの小便小僧などいわゆる「世界三大がっかり名所」を指定してしまって、人生最期にがっかりしてこの世を去るというのも味があるよなあ。

 

あ、それから最期に何食べるかも決めとかないと。

 

 十分に終わりのことを考えよ。

 まず最初に終わりを考慮せよ。ーレオナルド・ダビンチ

 

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