患者が気分を害すとき‐よりよい問診のコツ。

「なんて失礼な!気分を害したので、悪いが帰らせてもらう!」
さっきまでニコニコと診察に応じていた患者さんが突然怒って席を立ったのはある日の午後。年のころなら八十代。背筋をピンと伸ばして明るく快活に話しをしていたその患者さんは、まるでアスリートのような速さで診察室から飛び出していった。ぼくは付き添いの奥さんに助けを求めるかのように目をやった。


医者の仕事というのは見ようによっては接客業、これでも結構気を使うのである。

初めての診察のときなど、お互いにどういう人物かわからない。特に病歴をきくときなど詳しく聞けば聞くほど相手のプライベートな部分に踏み込むわけで、患者さんが気分を害さないように、でもできるだけほんとのことがわかるように、医者は言葉を選んできいていくのである。

 

たとえば日々どれくらいお酒を飲むかをきくとき。

お酒の飲み過ぎ傾向の人というのは、なかなかほんとうの飲酒量を言ってくれない。

病院でお酒を飲み過ぎていると言えばばああだこうだ言われるので、飲んべえの人は医者に少な目の量を言うことが多い。
「だいたいビール1本くらいかな」。実際には毎日大量のお酒を消費していても、うるさく言われるのイヤさにこんなふうに申告する。
だからそんなときは、こんなふうにきく。
「なるほど。じゃあmaxだと、どのくらい飲めちゃいますか?」

 

飲んべというのは不思議なもので、飲み過ぎはよくないという気持ちと、たくさん飲めて誇らしいという気持ちが一緒に存在しているらしい。
だからmaxでどれくらい飲めちゃいますか?ときかれると、まんざらでもなさそうに「んー多いとビール5~6本はいくかな。それから焼酎飲んだり。日本酒一升開けちゃうこともあるよ」と教えてくれたりする。
御承知のとおりアルコールの多飲は内蔵や脳みそに悪影響を与えるので、病気を診断する手がかりがこれで得られるのだ。
実際の飲酒量を隠しがちな飲んべの方々に「maxでどれくらい飲めますか?」ときく方法はぼくのオリジナルではなく、とある女性医師がtwitterでつぶやいているのから学んだ。

診察の一環として学歴/教育歴をたずねる必要があるときもあって、これもまた気を使う。
もの忘れの診察では現状を評価するときに学歴/教育歴と比較して評価する。だが学歴/教育歴はとてもプライベートなことでもあり、雰囲気的にききづらいことがある。
だから「学歴/教育歴を教えてください」とききづらい時にはこう訊く。
「二十歳くらいのころ、どんなことしてましたか?」。

こういうふうにきけば、「中学出てすぐ、職人として住み込みで働いていたよ」とか「高校卒業して簿記を勉強していた」とか「大学では文学部だった」とかスムーズに教えていただくことができる。

この「二十歳くらいのころ、何してましたか?」ときくテクニックもまたぼく独自のものではなく、ずいぶん前に「臨床神経」という学会誌で読んだものだ。

心理的なストレスがきっかけとなって原因不明のしびれ感や痛みを起こしたり、頭痛の原因になったりすることがある。そんなときにどの程度ストレスがかかっているのかを把握するのだが、これもまたききづらい。
家庭のこと職場のこと、恋愛のことや金銭関係などなど、人には言えないからこそ身体の不調のきっかけになったりするわけで、そんなときにはこんなふうに言ったりする。
「○○さんにあてはまるかはわかりませんが、ストレスが不調の原因になることも結構多いんですよね。もしかして、なにかそういうストレスとかってあります?」
こんなふうに“呼び水”のように質問すると、患者さんはいろいろと話し始めやすいようである。

ストレスによる不調、と断定するのはなかなか難しいのであくまで参考にとどめておかなければならない。ストレスによるもの、と決めつけることでなにかほかの病気を見落としてしまうといけないのだ。だから一通り患者さんのお話を聞いた後で自戒を込めてこう言う。
「なるほど。まあストレスが原因で不調が起こることがあるといっても、ストレスの無い人ってなかなかいませんからね。あくまで可能性ということで」

最近は、そのあとに一言付け加えてみたりする。

「…ストレスのぜんぜん無い人なんて、松岡修造くらいですしね。アハハハ」

多くの患者さんはこれでくすっと笑ってくれる。その後の診察が多少なごやかになるので気に入っているフレーズなのだが、ちなみにこれはぼくの自己流のやり方だ。
こんなふうに、たかが問診でも細心の注意と最新のネタを駆使しながら日々診療にあたっているわけである。


冒頭に戻る。

なんであの患者さんは怒って出ていってしまったのだろう。なにかマズいことでも言っただろうかと振り返ってもわからない。
そして僕は途方に暮れる、と銀色夏生みたいな気分で奥さんのほうを見た。
「……ごめんなさい先生、うちの主人、松岡修造さんの熱烈な大ファンでして。憧れてるんです、心の底から」
なるほど、確かにこれはぼくが悪い。なにごとも、自己流のやり方を振り回してはいけない。

今日の格言。『反省はしろ。後悔はするな』(松岡修造)

*フィクションです。念のため。


 ↓問診を受ける場合にもたくさんのコツがあります。

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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