なぜマクロン大統領の略奪婚はスキャンダル扱いされないのか考~あるいは元都知事殿へのささいなアドバイス。

先日フランスの大統領に選ばれたエマニュエル・マクロン氏の奥方ブリジット氏は25歳年上だそうで、マクロン氏が高校生だったときの国語の先生だったという。当時高校生のマクロン氏は既婚者だったブリジット氏に熱烈に恋し、最終的に略奪婚に至ったとのことだ。
日本で考えたらエラいことで、それが不倫だモラルに反するだなんてスキャンダルにならずに大目にみられたのはさすが恋愛大国フランス、なんてのが国内マスコミ報道の基調である。

しかしこのムッシュー略奪婚の話、実はフランス人にとって、これこそが理想の恋愛に映ったのではないかというのがぼくの仮説だ。歴史的に、フランスでは「不倫」こそが恋愛の王道だったからである。

さて、恋愛とはいったいいつ生まれたのか。

実はヨーロッパでは、「恋愛は12世紀の発明(発見)」と言われているそうだ(棚沢直子・草野いづみ『フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか?』角川ソフィア文庫 H11年 p.79。以下同書をネタ本とする)。
12世紀ころのヨーロッパは、がっちがちにキリスト教会によって支配されていた。恋愛感情なんて肉欲的なものは、けがらわしいものとして忌避されていたわけである。

それに対して、そうではない、恋愛は素晴らしいものだと高らかに歌い上げたのが“トゥルバドール”と呼ばれる詩人たちであった(上掲書同頁)。

<彼らの詩のテーマは、「まことの愛」(フィナモール。純粋な愛、誠実な愛とも訳される)。それは、騎士が貴婦人に捧げる女性崇拝の愛だった。
 しかし、それらの愛は報われることはない。なぜなら、騎士の愛の対象である貴婦人は、領主の妻など騎士より身分の高い既婚の女性だったからだ。当時、貴族の女性たちは、結婚してはじめて立派な貴婦人として認められた。トゥルパドゥールたちは、いくら愛を捧げても成就することのない、身を焦がすような苦悩や、にもかかわらず恋する者だけが味わえる至福の喜びをうたったのだ。>(同書p.80-81)

<この型の騎士道恋愛がフランス的恋愛観の原型である。つまり、フランス的恋愛のイメージとは、もともと「不倫」であり、結婚とは相入れないものだったというわけだ(略)。>(同書p.81)

 

フランスで暮らしたことはないので上掲書をそのまま信じるならば、フランス的恋愛の登場人物は基本的に「女一人に男二人」(同書p.83)。典型的には領主とその妻、そしてその妻に恋し焦がれる若き騎士、という三角関係だ。
領主とその妻の間には恋愛感情は無い。

<当時、結婚は、封建制度の下で家と財産を継承するための取り決めであり、自分で決めることはなかった。またキリスト教倫理の下では、一度結婚したら、やめることのできない義務だった。だから、恋愛と結婚は別、ということになる以外はなかった。>(同書p.81)

当時のフランス貴族社会では、<妻に恋心を持つ者は笑われた>(同書p.93)のだそうだ。wow。

この「女一男二」の恋愛関係というモチーフは、フランス文学やフランス映画の中によく見られるという(同書p.101-103)。なかでも、女一人をめぐって男同士がいつしか友情関係を結んでいくというスタイルはフランス人の心をとらえるようである。
カサブランカ」はアメリカ映画だけど、あれも「女一男二」のスタイルですね。嗚呼全ては時の流れるままに。

 

さてマクロン大統領の話にもどる。
日本だったら高校生が既婚者である25歳年上の学校の先生を略奪したりしたら眉をひそめられるだろう。ましてやそんな人物が総理大臣にでもなろうものなら、「いかがなものか」と叩く風潮になるのは予想がつく。
しかしフランスでは、才気あふれる若き美青年が、年齢と地位が上の既婚の女性に恋し奪ったというはむしろ正統派の恋愛スタイル、ととらえられたのではないかというのがぼくの仮説だ。

もちろん12世紀ころのトゥルバドールたちの話をもとに現代フランスを論じるのは、源氏物語をもとに現代日本を論じるようなもので無理がある。しかしながら時間つぶしに考えるにしては面白いと思う。

スペインには、「三十歳までは女が暖めてくれ、そのあとは一杯の酒が、またそのあとは暖炉が暖めてくれる」ということわざがあるという(北杜夫『どくとるマンボウ青春記』新潮文庫 H12年 p.285)。
ぼくは三十歳もとうに過ぎ、酒もたいして飲めない。仕方がないから暖炉のカタログでも取り寄せようかと思う今日このごろであるが、このマクロン大統領の略奪婚の話には興味を覚え、ついついネットで検索してしまうのだ。

年上の美人教師に恋の手ほどきしてもらってうらやまけしからんとか、いつまでも現役で愛におぼれたいとかそういうゲスな感情やスケベ根性ではない。
性愛は、この地上に生きる人と人との生命の交わりあい、崇高な営みだ。その人と人との厳粛な営みを、人間なるものの研究者として観察したい一心でぼくは今日もネットで検索し続けているわけである。

イノセさんも下手な言い訳しないでそんなふうに言っておけば、例のブックマークの件スルーできたのに。

 

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