IT革命とヘルステック雑考(R改)

20世紀後半のIT革命に匹敵する医療革命が現在起こっている、と講師のかたは言った。今から2年前、2015年のこと。当時はまだ、ヘルステックという言葉は使われていなかったと思う。


遺伝子解析の技術が進み、解析コストがぐんと安くなったこととiPS細胞によって個人の体質にあわせた再生医療の可能性が広がったことがその理由だという。馬鹿でかい巨大コンピュータからパーソナライズされたPCにツールが変わりIT革命が起きたように、万人向けの創薬から個人にあわせた創薬再生医療が可能になることがこれからの医療革命の一つだと講師の先生は続けた。

 

IT革命と比較して医療・バイオテクノロジーにも革命が起こるとか産業化が起こる、という話はよく出る。
 2000年代にも、ITの次はBT(バイオテクノロジー)だなんて言って、韓国が仁川空港と隣接した場所に大学病院を建て巨大企業と一緒になって研究開発をしたりした。

IT革命とのアナロジーで医療・バイオテクノロジーによる産業革命が起こる、という話は総論としてはわかる。だがいつも、個別具体的にはよくイメージできない部分が残る。


IT革命との大きな違いは量産化コストである。
IT革命の場合、特にソフトウエアの部分では量産化コストはゼロみたいなものだ。
自動車の場合には大きな工場を建てて工員をやとい24時間稼働で量産化するが、ソフトウエアはそれに比べて量産化があっという間にできてしまう。
 IT(ITをどう定義するかが問題だが)が爆発的に世の中を変えたのは量産化コストがほぼゼロで、よいものが出来れば瞬時に広まったことが大きい。
ついでに言えば輸送コストもゼロ。
医療・バイオの場合には量産化にも輸送にもコストがかかるので、IT革命と同列に医療・バイオ革命を論じるのは難しい気がする。

また研究・開発段階についてIT革命が決定的にそれまでの商品と違ったのは、「ベータ版の思想」だ。
まだまだ完全無欠じゃないけど、使ってるうちに不具合があれば直すからとりあえず使ってみてよ、悪いところがあったら教えてよ、スピード命だからさ、というフィーリングを「ベータ版の思想」とぼくは勝手に名づけている。
役所の仕事を考えるとわかるように、ミスを0にして完成度を100%にするにはものすごくコストがかかるしスピードも遅くなる。
完成度を0から95%にもっていくのと同じ労力が、95%から100%まで完成度を上げるのには必要となる。
 IT革命で画期的だったのは、95%の完成度でもいいから市場に出しちゃえ、という視点だ。
これはおそらくIT技術の創生期の人たちが「Hack」=ああだこうだ議論しているヒマがあったら手持ちの技術でまずはばっさりざっくり問題を解決してみせることに美を感じる人たちだったことも大きい。また、普及のはじめの段階では生産者と消費者がきっちり分かれておらず、誰かの技術を利用しつつ自分もなにかをつくって共同体に還元してお互いさまでともにやっていくという「コピーレフト」な感覚があったからではないだろうか。
 IT革命に詳しい人、教えてください。

量産化コストが他の産業に比べてゼロみたいなものという点と、「ベータ版の思想」が成り立った点でIT革命というのは例外的な事象で、それと同列に医療・バイオ革命を語るのは難しいかもなあと今も思うが講演では質問しそびれた。

 
あとですね、個人にあわせた創薬や医療サービス、テイラーメイドな物って、量産型のものに比べて相当割高になるはすですね。
障害者向けに技術開発すると万人向けのいいものができるという考えをユニバーサルデザインというと思うが、実際には障害は千差万別でそれぞれにあわせてなにか作っても、そのままでは汎用性がないのでオーファン(孤児)テクノロジーになっちゃったりすることもある(でも大事だけど)。

そのときの講演でほかに印象に残ったのは「日本は今、iPS細胞などのおかげで再生医療の分野でトップランナーである」という話。
それを聞いての感想が「おごる平家は久しからず」、「ピンチはチャンス」。
以下、詳しく。文献的裏付けはとっていないのでご注意を。

 

なぜ今、日本が再生医療トップランナーなのか。
まず大前提として、山中教授をはじめとする研究者の才能と努力。
そこを明示した上で、背景について想像すると、米国に比較して臓器移植が非常に少ないことの影響があったのではないか。臓器提供が少ないのは文化的な背景による。


なんらかの病気で内臓がダメになった時に原理的にてっとり早いのは他人の内臓を移植すること。もちろん免疫抑制剤を飲み続けなくてはならないなどの問題はあるが、日本で一番たいへんなのは臓器の提供を受けるだ。
それに比べ米国では臓器提供を受けやすく、臓器移植はバンバンやられている。
米国医療のご多分にもれず、ここでもお金の問題は出てきて、映画「ジョンQ」ではお金(莫大な額だ)が工面できず息子に臓器移植を受けさせられない父親が銃を手にして病院に立てこもったりした。米国で臓器移植を受ける場合、数億円のお金が必要らしく、日本から臓器移植のために渡米する子供たちも目標金額数億円の募金を募ったりする。
 中国だと死刑囚から臓器提供を受けるが、こちらもお金さえ積めば希望の臓器がすぐになんとか省から送られてくるそうな。なぜそんなにもタイミングよく、免疫拒絶の起こりにくい臓器を持つ死刑囚が現れるのかは皆目見当もつかないが、大陸には大陸の事情があるのだろう。

 

話をもとに戻す。
海外で臓器移植を受けることには批判も増えている。
アメリカ人の立場から見れば、善意で提供した臓器がアメリカ人から見た外国人(日本人とかですね)に札束で買い漁られているように見えてしまうわけである。

国内での臓器移植は進まない、海外渡航しての臓器移植も受けにくくなっている。そんな中でのiPS細胞による再生医療の可能性の話である。
実用化まで何年〜何十年かかるかわからなくても、予算はつきやすく、投資や才能ある人材も集まりやすい。
まったくの想像だが、臓器移植が盛んなアメリカでは細胞から臓器を作るみたいな研究の話をしても「自分の細胞から臓器を作るだって?そりゃあ免疫反応も起こりにくいだろうけど、実用化するの?そんなことより今ある移植臓器を使って、いま困っている患者を助けるのが先決だ。そのために拒絶反応を抑える研究をする予算と研究者が必要だし、移植外科医も育成しなきゃ」と予算と研究人材が分散したのかも知れない。

臓器移植が進んでいなかったことが回りまわってiPS細胞をはじめとした再生医療に予算と才能ある人材を集中させたのではないか、という仮説である。臓器移植のピンチが再生医療のチャンスを生んだ、臓器移植先進国のアメリカが再生医療では相対的に出遅れたという想像だ。
ハリウッドを持てなかった日本で、クリエイティブな人材がマンガとアニメに流れて世界に冠たる映像文化を作ったことを彷彿とさせる。

 

ポイントはいくつかある。
科学技術の発展は社会的・文化的な状況の影響を受ける。
たとえばiPS細胞の前に胎児由来の細胞を使うES細胞というのがあったが、ES細胞は胎児由来のためバチカンが欧米での研究に難色を示し、そのため研究者がシンガポールなどに移った。iPS細胞はそうした倫理的なハードルをクリアしていることもあり注目されている。

またほかのポイントは得意分野に安住すると次の時代に出遅れる、などだ。

iモードや写メールすげえなどと盛り上がっているうちにiPhoneに叩きのめされた携帯業界を思うとイメージしやすいかもしれない。

まあそんなこといいながら、この文章もガラケーで打ちましたけどね。親指痛かった。

(FB2015年6月2日、3日を加筆再掲)

↓先端医療もいいけど、標準医療をフル活用するのも大事です。

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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