読書感想文を書きたくない子の気持ち。

読書感想文を嬉々として書くようなやつとは友だちになれない。

そんなふうにそのころのぼくは思っていた。ぼくもまた、読書感想文を書きたくない子どもの一人だった。

 

<大人は誰でも元は子供だった(そのことを覚えている人は少ないのだけれど)>。

そんなことをリヨン生まれの飛行士が言っていた。ほんとだねー。

歳をとるにつれて、子どもだったころの記憶はどんどん薄れていってしまう。ヒツジのこととかバラ色のれんがでできた、窓に花が、屋根にはハトのいる家のことを考えるより、形や数字のことばかり考えるようになるから(ここまで246文字)。
だから、読書感想文を書きたくない子どもだったときのことをギリギリ覚えているうちに書き残しておきたい。明日には忘れてしまうかもしれないから。

読書感想文を書きたくない子には2種類いる。

本そのものが嫌いな子と、本は好きなんだけど読書感想文は書きたくない、という子と。ぼくは後者だった。
本そのものが嫌いな子は、それはそれで仕方がない。スポーツ嫌いな子を無理やりスポーツ好きにすることはできないのと一緒で、読書嫌いな子を読書好きにすることはできない。

本を読むことは素晴らしいと個人的には思うし、読書の習慣があれば人生が豊かになると思うけど、それはスポーツに関しても同様だ。スポーツ好きの人は、スポーツの習慣があれば人生豊かになるから、ぜひともみんなスポーツしなよ、と思っているだろう。やだよめんどくさい。

まあでも、本好きスポーツ嫌い族が渋々体育の時間や運動会につきあったんだから、本嫌いスポーツ好き族も読書感想文くらいつきあってもバチはあたるまい。

たまに本好きスポーツ好き族という人たちもいるが、そういう人たちは大きくなったら椎名誠にでもなれるんじゃないかな。いいなあ。

さて、本は好きだけど読書感想文は嫌い、という子どものことに戻る。
「感想なんて人に言うもんじゃない」

そのころ、そんなふうに思っていた。

本を読んで心が動くのは事実だけど、自分の心のうちをわざわざ人に言うなんて恥ずかしい。自分の感動は誰にも秘密のまま、大事にとっておきたい。もやもやふわふわぽかぽかした気持ちを、言葉に変えることすら嫌だ。本を読んで生まれたもやもやふわふわぽかぽかした気持ちは、自分の心の中にそのままとっておくべきものだ。文字なんていう目に見えるものに変換するのすら冒涜で、なぜなら<かんじんなことは目では見えない>ものだから。
なぜ自分の心の内側を、先生の命令に従って誰かに見せなきゃいけないんだろう?そんな恥ずかしいことなんて、絶対イヤだ。
そんなふうに思って、読書感想文は後回しになっていく。
大人の言葉で言えば「心情の吐露は他人から強制されるべきではない」ってのが本好き読書感想文嫌いの子の気持ちだろうか。

算数ドリルなんて夏休みのはじめに終えてしまっているくせに、読書感想文と自由研究だけが最後の最後まで残る。ぼくはそんな子で、始業式の朝、読書感想文を書き始めてたくらいだ。

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そのときの自分に向けてメッセ―ジを送るとしたら、「とにかく終わらせろ」ということで、そのためには内容は二の次、三の次。
文字数が埋まらないときはまわりにアンケートを取るとよい。アンケートをそのまま原稿用紙に書くんじゃなく、アンケート結果を書くときはこんなふうに書く。

本を読んだあと、ぼくは家ぞくと主人こうの行どうについて話しあいました。
お父さんは主人こうの行どうは自分かってだと思うと言いました。
お母さんは主人こうの気もちもわかるわ、と言いました。

ぼくはお父さんとお母さんと話しあってみて、どちらが正しいのかまだよくわかりませんでした。もしかしたら、おとなになるとわかるのかもしれないと思いました。
学こうがはじまったら友だちのみんなともこの本の話をしてみたいと思います。早く学こうがはじまればいいのに。

 

ボイントは、「家族と」「本について話し合う」「多様な意見を尊重」「断定的なことは言わない」「自分の心情は吐露しない」「大人になること=成長、学校が始まること=共同体への帰属に対して前向き、肯定的」ということ。

なにより大事なことは、これで218文字、原稿用紙の半分が埋まるということだ。
読書感想文を読むのは先生という大人で、大人は形や数字のことを考える生き物だから。

健闘を祈る。


引用文献:サンテグジュペリ星の王子さま』(池澤夏樹訳 集英社 2006年)

 あのバラも曲者だよなあ。

 

 

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 ↓読書感想文には向かないけど、病院に行く前には必読。

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