紙の発明あるいはなぜ欧米人はプレゼンが上手か

結論、紙はすごい。

 

何年か前にネット上で見かけた話ですごく好きな話がありまして、題して「紙の発明」。

「紙の発明」、一言で言えば、もしデジタルデバイスより紙のほうが後に発明されたらその便利さに誰もが驚愕する、という話です。

デジタルデバイスだけで情報のやりとりをしているパラレルワールドで、ある日、紙が発明されたとする。

世界は震撼します。こんなふうに。
 「スクロールなしで見たい情報がすぐ見つけられる!」

「電源なしでどこでも見られる!」

「折っても曲げても情報が損なわれない!」

「何千年も保存できる!」

「めちゃめちゃ安価に作れる!高度な技術なしでも作れる!」

「あとからいくらでも書き込める!消すのも簡単!」

「無限コピーもしにくいしどれがオリジナルかわかりやすいから、著作権保護とか超便利!」

「本とかいってなにこれあり得ないんですけど!」

となって、
「デジタルデバイスなんてもう古い。まさに紙革命!」ってなるだろう、って話。

 

元ネタをいつぐらいに誰が言い出したのか検索したけどうまくひっかけられませんでした。ご存じのかた教えてくださいませ(①)。

元ネタがどんな文脈で語られたのかはわからないけど、新しいものが常に便利とは限らない、新奇性に目を奪われず、ものごとの本質を見て、状況に最適なツールを選ぶのが大事ってことでしょうかね。

 

実際、紙と人間の精神の関連は興味深いものです。

米原万里氏の書いたものの中で、欧米でロジックやプレゼンが発達したのは紙が東洋に比べて乏しかったから、というアイディアを見かけたことがあります。

東洋では豊富に紙があったからただ無為にだらだらと記録を書き連ねておくことができたけど、欧米では紙は貴重で、よっぽどのことでないと使えなかった。だからできるだけ記憶しやすい、されやすい形で記録を伝えなければならなくて、そのために欧米では覚えやすい形に事実を加工するためにロジックを形作る術が発達したり、起承転結のある物語の形で語るようになったみたいな話だったはず。事実の羅列だけでは聞いたほうも覚えにくいけど、論理性があったりストーリーがあったりすると覚えやすいですからね。

西洋/東洋の二分法も今どき流行らないけど、忍者の巻き物や西遊記のお経みたいに、秘伝や真理が書かれた書物を求めて様々な冒険が繰り広げられるなんて話は西洋でもメジャーなんだろうか。西遊記なんか、あれだけの苦労をしてお経を取りに行くくらいなら、自分で何年も修行して真理を探究するとかってやり方もありそうなもんですけど、お釈迦様が到達した境地に自分が達せられると思うのはおこがましいのかな。
西遊記では、お釈迦様の到達した真理を書いた紙=お経を求めるだけじゃなく、お経を書いたお釈迦様自身と会えないかトライしたりしてないんだろうか。確か孫悟空が世界の果てまで行ったつもりがお釈迦様の手の上だったってエピソードも西遊記の中にあるわけだから、星が入った球を7つ集めたりしたらお釈迦様来てくれそうな気もする。

それともあれか、本人よりも本人に関するグッズのほうが貴重になるフェティシズム的なあれの源流なのか西遊記

 

紙にまつわるエトセトラと言えば、最近の子どもはミカンの汁で紙に字を書いたりしないのかなーとか、J・P・ホーガンの『星を継ぐもの』の出だしで真紅の宇宙服の異星人が持っていたノートをトライマグニスコープで解析するところとか面白かったよなーとか、中島らもの『永遠も半ばを過ぎて』の中の書物のうんちくもいいよなー、こりゃあいいシボです、などなど連想は転がってまいります。
とどのつまり、こうしてとりとめもなく連想をメリハリや際限なく書き連ねて行ってしまうのもネットの悪いところで、これが貴重な限られた紙に書くんだったらこうはいかない。きっちり何文字以内かにおさめなきゃいけないし、文章の盛り上がりやオチなんかの構成も考えなきゃいけない。紙に書かずにデジタルデバイスに書くからこういうだらだらした文章になるわけで、

 

結論、紙はすごい。

ではまた。

 

注① 友人Tのご教示によると、「紙の発明」、言いだしたのはフィナンシャル・タイムズの人みたいです。T君、感謝。

もしコンピュータが誕生した後に、紙が発明されていたら…。 | 隠居系男子

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