「欲望の枯渇」問題。

「ほしいものが、ほしいわ。」
糸井重里氏の名コピーである。
 
「欲望の枯渇」。
ここ数年のテーマだ。
 
 加齢に伴い(現実を直視するのは大事だ)、欲しいものは無くなり、やりたいことも無くなった。食べたいものも飲みたいものも無くなり、ただただスマホの画面をスワイプするのみ。虫だったらとっくに死んでいる頃だ。
幸いなことに良い仕事をしたいという欲求は残っているから日々のリズムは刻めている。それだけのことだ。
 
頑張って心の奥底を漁ってみると、まだ会いたい人に会いたいとか、行きたい場所に行きたいという欲求は残っている。しかしコロナ禍でそうした欲求のことも忘れ去ってしまった。
 
この「欲望の枯渇」というのは当事者としては深刻なテーマで、今さらながらに「人はなぜ生きるのか」なんてことを考えてしまう。
そんなことを言うと、「じゃあお金とか要らないんすか?」みたいに言われることもあるが、お金は生活を守りながら欲望をかなえる道具であり手段でしかない。そうだろう?かなえるべき欲望が無いのに道具や手段だけ血眼になって集めて何になるというのだ。
 
困ったときは人に聞け、ということでここ数年、会う人会う人に「欲望の枯渇」という悩みを相談している。さぞやウザいことだろう。ごめんね。
相談してみると得られることも多い。
 
先日相談した友人Tはこう言った。
「いろんなものに触れ合うのが足りないんじゃないの?
“触発”っていうくらいで、いろんなものに触れ合ったりすれば心が動くんじゃね?」
4人でバリバリ肉を喰らいながらそんな話をした。
なるほど。
 
確かに新たな関係性の中からしか新たな心の動きは生まれないのかも知れぬ。
コロナ禍の中で人と人との関わり合い、からみ合いということに臆病になっていた。
ネットばかりやっていてはダメだ。
思い切ってネットから離れ、新たなからみ合いの中に身を投じなければならぬ。
と、ネットに書いておく。
 
すべてのリア

花見の意味。

今年になってようやく花見の意味がわかった。何十年も、「花など眺めて何になる。どうせ皆花など見てはいない」と思ってきた。
コロナ禍と加齢を経て唐突に花見の意味がわかった。あれは「桜浴(さくらよく)」「生命浴(せいめいよく)」なのだ。


暗くて寒い冬を耐え、銀色の冬が春に溶け込んで、啓蟄と春分を経ていよいよ無数の生命が本格的に躍動し始めた、活力あふるる大気を浴びるために人々は花見をするのだろう。

SNSは承認欲求を肥大させ、そして同時に承認欲求をやせ細らせる。

SNSは承認欲求を肥大させ、そして同時に承認欲求をやせ細らせる。

 

SNSが承認欲求を肥大化させる問題は、しばしば指摘されてきた。 SNSでの承認が欲しいばかりに人はバイト先でアイスケースに横たわって写真をアップしたり飲食店での問題行動を動画に上げたりして失敗する。

しかしもう一方の、SNSが承認欲求をやせ細らせる問題はあまり指摘されていない。

 

前提として、適度な欲求や欲望は行動のエンジンであり、適度であるかぎり欲求や欲望は好ましいものと考える。

食欲があるからこそそれを満たすために我らは働き社会参加する。

もし人間が葉緑素を持っていたら、人間はわざわざ汗水垂らして働かず日がな一日ひなたぼっこして暮らすだろう。いいなそれ。

 

食欲などなどの欲望があるからこそそれを充足させようと我らはあがく。

承認欲求もしかりで、承認欲求を満たすために「も」我らは社会的活動をする。

 

さてここで問題が一つ。

承認欲求を満たす、他者からの承認にも「量」と「質」がある。

そして、ダニエル・カーネマンがいうところのシステム1は、他者からの承認の「量」は認識できても「質」は認識できないっぽいのだ。

 

滋養あふるる料理ではなくジャンク・フードでも手軽に空腹は満たされるように、承認欲求もまたインスタントな他者からの承認でも満たされてしまう。

承認欲求を満たすために「も」、学者は論文を書きビジネスマンは売り上げを上げ、それぞれの職業仲間から承認を得る。そうやって良質な承認を得ようとして前に進んでいく。

しかしSNSで指一本で承認がお手軽に大量に得られる時代になると、わざわざウイルスの研究に打ち込んでうんうんうなりながら論文書いて世に問うよりも、エキセントリックな言説でSNSの人気者になったほうが早い。

 

SNSによる承認欲求のインスタントな充足という問題は、目に見えにくい。

SNSによる承認欲求のインスタント充足とそれによる社会の停滞という問題を認識し、人間社会はただちに対応すべきだろう。

そして我々一人一人がこの問題を意識し、安易な他者からの承認を求めることのないように広く呼びかけたい。

 

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『納税Pay導入』のエイプリールフールネタに思う。

早朝から大炎上している例のサイトを見てきた。

「納税Pay導入のお知らせ」という歳入省のエイプリル・フールネタのことだ。

確かにあれはやり過ぎだと思う。

 

炎上でサーバーが落ちたりしてるといけないので簡単に説明する。

歳入省のサイトに飛ぶといきなりこんな文言が出てくる。

〈「納税したくてしたくてたまらない!どうにかして!」

そんな国民の声にこたえ、このたび歳入省では「いつでもどこでもハイ納税」のキャッチフレーズで国民から愛される『納税Pay』を導入しました!

使い方は簡単!

アプリをダウンロードしてクリックするだけですぐ納税できます。

納税ボタンを押して『のうぜ〜い♪チャリン、バサバサッ♪』の音が鳴ったら納税成功。

ボタンを連打すると二重三重に納税できます。

抽選で1等を引くと、なんと税金が100%キックバック! 合言葉は『納税者からNo税者へ』。

さああなたも納税Pay、始めてみませんか?

 

※なお『納税Pay』は、2024年7月から義務化されます。

 

レッツ・エンジョイ・納税!

2024年エイプリルフール〉

 

近年企業のアカウントなどでもエイプリルフールネタは盛んだが、歳入省の『納税Pay』はやり過ぎだと思う。あれでは炎上しても仕方がない。

『チェンソーマン』のパロディ動画『税ソーマン』も笑えないしBGMが米津玄師『Kick back』の〈幸せになりたい 楽して生きていたい〉の部分なのもブラックユーモアが過ぎる。

しかもなんなんだあのゆるキャラ『3代目 税ソウルブラザーズ』って。設定に「JポップもKポップももう古い!これからは税ポップ!」というのもひどすぎる。

 

とにかく歳入省は今すぐあの『納税Pay』のエイプリルフールネタを取りやめたほうがよいと思うがそもそも歳入省なんて存在しないというエイプリルフールネタを考えたがいかがだろうか。

 

 

謎言葉。

よくよく考えるとよくわからなくなってる言葉というのがある。

「写真はイメージです」という注意書きとか。

今日も施設を退所した患者さんのカルテに「ホームから帰宅」「今後ショートステイをロングで利用。ロング・ショート」と書きながら、「オレはいったい何を書いてるんだ…」となりました。

 

 

 

通訳と医者は似ている。

通訳と医者は似ている。

とめどなく与えられる日常言語ベースの情報の山から本質的な情報をピックアップし、他国語や医学用語に変換する。

 

ギリシア語で通訳は「hermenuties」というそうで、これは神々と人間との交信、いわば神々言語と人間言語の通訳を担ったヘルメス(Hermes)神の名によるという(米原万里『ガセネッタ&シモネッタ』kindle版 242/3442)。

ヘルメスは神々と人間との通訳以外にも商業や発明、盗人の守護神役を担った。

 

通訳には逐語通訳と同時通訳があって、どちらも大変だが同時通訳はさらに大変だ。

米原氏は書く。

〈一般に平時の心拍数は六〇〜七〇、重量挙げの選手がバーベルを持ち上げる瞬間、それが一四〇まで上がるといわれているが、同時通訳者は、作業中の一〇分なら一〇分、二〇分なら二〇分ずーっと心拍数は一六〇を記録し続けるのだから。〉(上掲書kindle版1082/3442)

 

外来診療中に診療が立て込んでくると、心拍数が上がってくるのを感じる。

待合室に増えてゆく患者さんのことを思いつつ、目の前の患者さんからとめどなく溢れ出すさまざまな日常会話を頭の中で医学用語に同時通訳していると心臓が早鐘のようにビートを刻む。

日常会話と医学用語の同時通訳もまた、人体に過酷である。

 

そうした辛さをわかってもらうには論より証拠でとにかくデータを取って提示することが有用だ。そう考えて、ある時診療しながらスマートウォッチで心拍数を記録してみた。

その日は特に多忙で、おそらく同時通訳並みの心拍数160くらい行ったのではないかと記録を確認してみたら、なんと平均心拍数は65。

 

人間、常に平常心でいたいものである。

 

 

通勤電車。

『通勤電車で座るための戦略とアクションプラン』みたいな宣伝広告を興味深く読んでいたら最終結論に「もっとも大事なのは一日でも早く通勤電車に乗らなくて済むような生活を手に入れること。そのためにも、資産運用は当銀行にお任せください」って書いてなかった。

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『通勤電車で座るための戦略とアクションプラン』の度外れた力作っぷりに驚いてシートから滑り落ちそうにならなかった。

なぜかわかるかい? その日は通勤電車でシートに座れなかったからさ!HAHAHA ってアメリカ人が言ってなかった。

 

以上です。