【保存用】コロンビアとAさんの話。

Mさんの話とコロンビア好きのAさんの話をお蔵出し。

 

「大事なのは自分の人生に恋をすることなんだよ」 笑顔でトレードマークの口ヒゲをくしゃくしゃにしながら、Mさんが言う。

「自分の人生さえ愛せない奴が、他の人のことなんか幸せに出来るわけがない、 な、そうだろ。」

いつになく口が滑らかなのは、深夜のせいか、ズブロッカのせいか。

 

店の片隅、薄暗い照明の下に、なんとも奇妙な一団が陣取る。

航空会社勤務勤続数十年のMさんと二十代のその息子、海外渡航計4回、なぜか全部コロンビアのAさん、某国家機関勤務のY子さん、それにぼくの計5人がズブロッカの瓶を囲んで深夜の集会を続ける。

 

「てゆうかさ、絶対死ぬと思ったね、今回ばっかりは。」

この間コロンビアから帰ったばかりのAさんが言う。

「2年前に行ったときに知り合った、むこうの猟師でホセって男と再会したんだよ。 そんでガイドしてやるから二人してジャングルへ行こーって誘うんで、付いていったんだな。

で、それが間違い。

もっと早く、ジャングルに入る前に気づくべきだったんだよ、2年の月日の長さってやつに。」

 

「?」

他の4人が話の続きを待つ。

 

「2年ってのはさ、人を変えるのに十分な長さなんだな。

2年前に会ったときにはさ、そのホセはちゃんとした優秀な猟師だったんだよ。

地図やコンパスなんかなくたってジャングルの中を迷わず帰って来られるし、光の加減で時刻だってわかったんだ。

そんな奴だったからこそ信用して今回もついて行ったんだけど・・・。」

 

「ジャングルに入って30分くらいしたころかな、ホセの落ち着きが無くなってきた。

それがあまりに露骨だったんで、思わず奴の顔をまじまじと見ちゃったんだよ。

そしたらさ、眼が昔と違う、今まで何人も見てきた例の眼だよ。

俺と会わなかった2年の間に、あの野郎、完全にアル中になってたんだ・・・。」

 

「はっと気がついたら奴と離ればなれになっていて、俺はジャングルの中で一人ぼっちだった。

日本の3倍くらいの大きさの蚊に50ヶ所は刺されるし、蚊に襲いかかられている俺のまわりを、さらにハエがぐるぐると回る。

それからさらにそのまわりを熱帯の蝶が舞うって寸法で、もう大変。」

人間蚊柱のまわりを舞う色とりどりの熱帯の蝶たちねえ・・・ 美しいんだかすさまじいんだか。

 

「足元からは真っ黒な蟻が上ってくる、 転ばないようにつかんだ樹の枝にもびっしりと蟻がくっついていて、堪らなくなってそこから一心不乱に走って逃げた。

小さな川の中に逃げ込んで、体の肉に喰いこんだ無数の蟻を夢中で洗って、ふっと水面を見るとさ、こんどはそこにピラニアが居るんだよ。

奴らさも嬉しそうに俺に近寄ってくるんだ。

うわって言って川から飛び出して、訳もわからずまた走り出した。」

 

「そうやって闇雲に走って、やっとのことで大きな川に出くわした。

あたりはもう夕暮れで、どんどんどんどん暗くなってくる。

途方に暮れるってのはああいうことを言うんだな、俺はもう動く気力も無くなって、川べりに一人ぼっちでただ座りこんだ。

こうやってひざを抱えて、体育座りで。」

 

「1〜2時間は経っただろうか、遠くでがさっと音がした。

何かが動く気配がして、陰がこっちに近づいてきた。

のころにはもうすっかり夜になっていてさ。 もう何でもいいや、と思ってその陰を見ると、すごい勢いでこっちに近づいてくるんだ。

さすがにやばい、と立ち上がった瞬間、 その陰が大声で叫んで、俺に抱きついた。 ヨ〜ジロ〜!!って。

なんとホセだったんだよ、その陰は。」

洋二郎(仮)というのがAさんの下の名前なのだ。

 

「それから二人して、夜のアマゾン川のほとりで体育座りして、ずっと川を眺めていた。 疲れ果てて、別に話すことなんか無いし。」

 

え、それでどうやって帰ってきたのさ。

「ちょうどそこにジャングルの奥地で猿狩りをやっている猟師のボートが通りかかったんで、大声で呼び止めた。

そんでホセと俺は何十匹の小猿と一緒にボートに乗せられて、村まで帰ってきたってわけ。」

 

「ほんとうに今度の今度は死を覚悟したね。 さすがに参った、参った。」

そう言うとAさんは吸っていたショートホープを灰皿にぎゅぎゅぎゅと押し付け、チェイサー代りのコロナをぐいっと飲んで一息つき、身を乗り出してぼくらにこう言った。

 

「てゆうかさ、やっぱりジャングル最高。 来年はみんなで行こうぜ。」

やはり大事なのは自分の人生に恋をすること、らしい。

(初出はこちら↓)

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【保存用】In the midnight hour.

昔の酒場にはいろんな人がいた。

 

以前、想像を絶する人と出会ったことがある。

そのおじさんは、京都大学理学部物理学科卒業で、パリ大学の元教授、若いころはマイルス・デイビスとジャムをしたことまでがあるという。

当然、英語もフランス語もぺらぺらだとかで、しきりに詩か何かを暗唱している。

バーの片隅でフランス語の詩を暗唱する、高そうな三つ揃いのスーツに身を包んだその紳士は、ただどういうわけか、前歯が一本もないのだった。

 

なんとはなしに話を始めたんだと思う。

華麗な経歴に、感心して話を聞いていたがどうも彼は飲みすぎたようで、呂律が怪しくなってきた。

言葉が聞き取りにくいものだから、そのたびにこちらが聞きなおす。 バーボンが相当回った紳士は、そんなぼくに次第にイライラしてきたらしい。

「おれのことを、馬鹿にしてやがるんだろう」と絡んできた。 「おれは、こう見えてヤクザなんだぞ、この野郎」 などと言い出す始末。

 

まぎれもない、 この人はホンモノだ。そう確信した。

ホンモノの、酒乱だ。

 

「やるか、この野郎」 ドカンと音をたてて、酔いどれ紳士がバーボンのグラスをカウンターに置いた。 席から立ち上がろうとする。

だんだん腹が立ってきて、こっちも臨戦体勢に入った。

ガタン、でかい音がして自称パリ大学の元教授が倒れた。 相当飲んで脚に来たらしい。

 

途端にこっちも拍子抜けした。

もう少しで、ミッキー・ロークばりのハード・パンチを奴の口元にお見舞いするところだった。

 

時計は午前3時をわずかに越えていただろうか。 彼の家族が迎えに来た。

京大卒の、物理学博士で元パリ大学教授、マイルスのジャムセッション仲間で ヤクザ兼、酔いどれ紳士の妻だ。

「すみません、うちの人、いつもこうで・・・・。 酔っ払ってあちこちでケンカをふっかけてるんです。 たいして強くないのに、人を怒らせるのだけは得意なんだから」

 

妻が恐縮しきって会計をすませ、その夫婦は店を出た。

コルトレーンのレコードも終わり、しんとしたバーにはぼくと、店員のMさんだけが取り残された。

 

「いつもあんな調子か・・・。そりゃあ前歯も無くすってものね」 顔色一つ変えないままそう言って、Mさんはグラスを片付けはじめた。

(初出はこちら↓)

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インターネットより詳しく現地の情報を得る方法。

インターネットには世界中の情報が溢れているが、それでも現地の情報にはかなわない。 そうした現地情報を入手するウラの方法を、大前研一氏が書いている。

 

大前研一氏は、講演などで新しい土地に行くときにはまずはじめに現地の不動産屋に立ち寄るという。世界中どこでも。必ず。

〈私のやり方はこうだ。まず、ざっと家の相場を聞く。それでかなり高そうな部類の家を買いたいと言うのである。相手は喜んで「ご案内しましょう」となる。そこで、翌日のしかるべき時間にホテルに来てくれ、と言う。翌日、おもむろに高級ホテルから出てくれば彼らの、それはもう嬉しそうな期待に満ちた顔が迎えてくれる。しかも彼らは自分の車で来ているから、町中案内してもらうのにハイヤーを雇う必要がない。 (略)

通常、彼らは自分のいちばん売りたいところ三軒くらいに連れて行ってくれる。大切なのは、そのあいだ間断なく質問をすることだ。通勤の手段は?車の値段は?家を買った場合の税金は?減価償却は認められるのか?外国人は不動産を所有できるのか?普段は留守にしているがお手伝いさんは簡単に見つかるか?それはいくらか?保険は?ローンの金利は?抵当はいくらまで認められるの?等々。〉

(大前研一『やりたいことは全部やれ!』講談社文庫 2005年 p.121-122)

 

不動産屋に根掘り葉掘り聞いたあと、大前氏はさらに踏み込んだ“現地調査”をするのだが、“現地調査”としては非常に有効だろうなと思うけれどさすがにそれはえげつなくてやり過ぎだろという方法なのでここでは書かない。各自確認していただければ幸いである。

 

いずれにせよ“現地調査”のため「家を買いたい」といって不動産屋に行くのは「冷やかし」で、海千山千の大前氏だからできることだ。 素人がマネすると、いつか最もフィジカルで最もプリミティブでそして最もフェティッシュなやり方で怒られが発生するかもしれないから、素人にはおすすめできない。

 

 

科学とワイン。

「…おお……枯葉舞う秋の日差しの中…一人の少女が花束を手に歩いてゆく…友人の家を訪ねてゆくのだろうか…落ち葉を踏みしめて歩く少女…これは、その少女の靴底についた腐葉土の匂い…これがテロワール…」

「さすが名ソムリエ。合格じゃ」

ワインの評価というのはそうやってやるものかと思っていたが、どうやら誤解だったようだ。

 

ソムリエの田崎真也氏がテイスティングについてこんなことを書いている。

〈色、香り、味と……順次、言葉にして表現しながら推測を重ねていくわけですが、そのときにとても重要なことがあります。その表現された言葉は、どんな国のソムリエとの間であろうと、理解しあえる表現であるかということです。つまり、共通認識が必要になります。たとえば、白ワインを試飲したときに、香りを嗅いでグアヴァの香りがすると表現をすることで、それは、「ニュージーランド、マールボロー地区産のソーヴィニヨン・ブラン種に見られる香りである」とか、「熟したパイナップルと干しアンズ、蜂蜜の組み合わせは貴腐ワインの特徴である」などのように、共通の言語として認識されるわけです。〉(『言葉にして伝える技術』祥伝社 2010年 p.90-91。名著)

〈よくソムリエは、言葉を自由自在に並べて表現していると言われますが、それはけっして自分の感じたオリジナルな言葉によって表現しているのではありません。ブラインド・テイスティングであれば、そのワインを言い当てるために、審査員たちと共有できる単語を述べています。ここが重要なのです。これはソムリエの世界に限らず、どんな場面でも、感覚を相手と共有し、共感するためには、互いに理解できる言葉で表現し合わないとまったく意味をなさないことになるわけです。〉(上掲書p.92)

 

ある事象をみんなに知らせたいときに、その事象がどんな要素により出来上がっているかを観察して要素に分解し、その要素を誰もが共有できる表現で伝えていく。これはまったく科学の手法だ。

 

「青リンゴの香りがするワインが好きなら、青リンゴのジュース飲んだほうが話が早いんじゃないか」などとずっと思っていたが、そういうことではなかったらしい。

味や香りとか、デジタルデータにして地球の裏側に届けられないものも、世界中の多くの場所で手に入る「青リンゴの香り」と表現すれば再現性を持たせることができる。

「青リンゴの香りがまず来て、それに少しだけナッツのフレーバーが追いかけてくる」(適当)と表現すれば、なお再現性が上がる。

こうやって要素にわけてほかの人と共有しやすい言葉で置き換えることで、ソムリエはワインを記憶しやすくし、伝えやすくするのだという。

ソムリエもまた、職人であり芸術家であり科学者であるのだ。

 

ほんとはこの話をマクラに、ワクチンのシェディングなる現象があると主張するならば、事細かに観察して要素に分解し、ほかの人が共有できる表現で伝えて再現性があるかを検証しなければならない、みたいな話を書くつもりだったがやめておく。

せっかくのワインの話の後味、アリエール・グゥが悪くなるといけない。

 

 

アドバイスという名の支配から逃れるために。

人は人にアドバイスする。 善意からも、悪意からも。

 

〈この世で、病人に浴びせかけられる忠告ほど、虚ろで空しいものはない。それに答えて病人が何を言っても無駄なのである。というのは、これら忠告者たちの望むところは、病人の状態について本当のところを知りたいと言うのではなくて、病人が言うことを何でも自分の理屈に都合のよいように捻じ曲げることーこれは繰り返して言っておかなくてはならないーつまり、病人の現実の状態について何も尋ねもしないで、ともかくも自分の考えを押しつけたいということなのである。〉

(フロレンス・ナイチンゲール『看護覚え書』現代社第7版p.172)

 

薬を飲むなとかサプリを飲めとかワクチンを打つなとかなんとかトロンがよいとか、病いに悩む人には四方八方から無数のアドバイスが寄せられる。

しかしそのアドバイスが正しいのか、それともただ単に病いに弱っている人を自分の思うがままに操りたくて発せられてるのかには注意しなければならない。

 

ナイチンゲールはこうも書く。

〈(略)このような病人のうえに雨のごとく降りそそぐ数々の忠告にも、彼らは耐えられないのである。やれそんな仕事は放棄せよとか、やれほかの医師に診せよとか、家を換えよ、転地せよ、この丸薬がよい、あの散薬がよい、特効薬がある、などといった類の忠告である。こうした忠告の一貫性のなさについては、もはや言うべき言葉もない。要するにこれら忠告者たちは、病人に対して、「医師に誤診はつきものだから」いま診てもらっている主治医の診断による予後は信じないようにと勧めていながら、同時に「ほかのある医師はいつも正しいから」ぜひこの医師を信じるようにと、熱心に説き勧めるような人たちなのである。〉(上掲書p.170)

 

人の心を操ることに快感を覚える「マニュピレーター」と呼ばれる性格の人がいる。 親切顔で近寄ってきて親身なアドバイスを繰り出すことによってあなたの心を支配する。

そうした「マニュピレーター」にとって、病気で弱っている人というのは絶好の獲物だ。

 

「マニュピレーター」の餌食にならぬよう、くれぐれも用心が必要である。

 

付記。

ナイチンゲール師匠は観察と統計で惰性と習慣に基づく当時の医療をぶん殴ってくる「観察と統計の戦士」なので『看護覚え書』は読むべき本。

 

 

Lovers of Lovers.

ビッグ・マウンテンにインナー・サークル、UB40。タップしたスマホから、90年代が流れる。ブルートゥースでカーステレオへ飛ばす。
動画の森で出会った90年代UKラヴァーズ・ロックが車の中を満たす。
 
サード・ワールド、シャギー。
どこらへんまでUKラヴァーズに入れるのか知らないけど、懐かしさに頭がくらくらする。
 あの頃は、重低音が全てだった。重ければ重いほど、低ければ低いほど、そして音が大きければ大きいほど偉かった。
 
流行りもののラヴァーズ・ロックはちょっと軟弱みたいな気がして、一生懸命タイガーとかも掘ってみたけど結局わからなかったな。パトワわからんしな。
 
マキシはやっぱりツヤのあるいい声だな。白いベスト盤、すごくいいんだよな。
マキシといえば、織田裕二はよくマキシと話つけたよなあ。ミヤがヤミと演るのはわかるんだけど、マキシサイドと誰か話つけられる人がいたんだろうな。
 
アズワド。
マキシの『クロース・トゥ・ユー』と、アズワドの『ネクスト・トゥ・ユー』、一瞬言い間違えるんだよな。
アズワドの『アイ・ショット・ザ・シェリフ』のカバーもカッコいいんだよな。『ファイア』も入ってる、4曲入りのミニアルバムに入ってるヤツ。
 
おおというかええというか、ここでエース・オブ・ベースにつなぐのか。ラヴァーズ・ロック扱いでいいのかしらないけど、この流れで出てくると確かにいいよな。
あの頃だと軟弱扱いだけど、いい曲なんだよな。
 
ああ、スノウ。
スノウはあっちじゃなくてこっち持ってくるんだ。たしかにあっちだとちょっと強すぎて流れ持ってっちゃうしな。
 
ああ、全てが懐かしい。
あの夏のように、車の窓を全開にして、ボリュームを上げて街を流す。
ウーハーも載せてないし10連チェンジャーもないけれど。
あの頃はなんか車のダッシュボードに白いファーを敷いて、クレーンゲームの景品のぬいぐるみをずらっと並べてる人いたな。あれはなんだったんだろうな。やっぱりあの頃のほうが、若者の可処分所得は多かったんだろうな。
 
ああそうだよな、最後はダイアナ・キングで締めるんだな。
よみうりランドに友達と観にいったな。
ああ本当に本当に、全てが懐かしい。
 
気がつけば、頬が濡れていた。なぜか右頬のほうが激しく。
頬だけではない。Tシャツもびしょびしょ、ボトムもずぶ濡れだ。
ハンドルもシートも、床さえも水浸しだ。
やはり雨の日は、窓を開けて運転しないほうがよいのだろう。
 
以上です。
One Love,Respect!

人生後半戦を襲う虚無とどうつきあうか。

衰退する社会には「虚無」の影が忍び寄る。
欧州社会が取り憑かれている「虚無」とどう対峙するかが、ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』のテーマだった。
衰退する個人にもまた、虚無は忍び寄る。
人生後半戦は、虚無との闘いだ。
 では果たして、衰退する個人はどう虚無と対峙すべきか。
ひとつの方法として、虚無をポジティブに捉えるというものがある。
老子曰く、〈埴をこねて以て器をつくる。その無に当たりて器の用有り〉(『無用の用』)。
壺などの器は、中が空洞だからこそなんでも入れられる。
人生も、中が虚無だからこそ何でも入れられる。人生は、虚無だからこそ意味がある、ととらえる。
しかしこれは言うほど簡単ではない。
虚無をなめるな。衰退をなめるな。
虚無も衰退も、非常にパワフルだ。
力強い衰退。
その逆に、虚無を徹底的に無視するという方法もある。
アンデスの民がコカの葉を噛みながら労働と人生をやりすごすように、くだらないジョークとポップソングを口にしながら虚無をやりすごす。
おすすめは料理で、特に一番よいのはだし巻き卵だ。
だし巻き卵は美味しいし、きれいにできると嬉しい。
あまり知られていないライフハックだが、だし巻き卵を作っているとき人は虚無から解放される。
だし巻き卵を作っている時に虚無るとすぐ焦げるからだ。
何事も極端はいけない。答えは常に、中庸にある。
虚無をポジティブにとらえるでもなく、虚無を徹底的に無視するでもない、中庸とは何か。
虚無との和解だ。
君よ、神と和解せよ。
ネコと和解せよ。
虚無と和解せよ。
江国滋の句、〈おい癌め 酌みかはさうぜ 秋の酒〉をもじっていえば、「おい虚無め  酌みかはさうぜ 秋の酒」と言ったところだろうか。
虚無と正面から闘うでもなく、無視するでもなく、同行二人のごとく時に虚無と語らい、虚無とともに人生を歩いてゆく。
まずは手はじめに、虚無のゆるキャラ化から手をつけたい。
長き旅路をともにゆくためには、やはり親しみやすいキャラがよい。
というわけで虚無をゆるキャラ化してみたので写真を添付する。愛称は『虚無たん』だ。
我ながら虚無の特徴をとらえた、秀逸なキャラだと思う。
画像
『虚無たん』、いかがだろうか。
あんまり見ると目に悪いから各位、ご注意されたい。
それじゃまた。