続・正論7月号『セクハラはチンパンジーもやっている 長谷川三千子×竹内久美子』批判

90年代の亡霊か。

 

先日出た、雑誌正論2018年7月号記事、『セクハラはチンパンジーもやっている 長谷川三千子×竹内久美子』を読んだ感想だ。

竹内久美子氏がメジャーになったのは1990年代前半。

「生物学の理論を縦横無尽に駆使して社会評論を行い一世を風靡した」、というのが大人の言い方で、ほんとのところは「ある特定の生物にみられる現象を好き勝手に人間社会に濫用してオッサンたちが喜ぶような言説を弄して人心を惑わした」というところだ。

いかにその言説がいい加減でテキトーかは、1990年代にすでに山本弘氏ら「と学会」に批判、というかおちょくられている(と学会編『トンデモ本の世界』宝島社文庫 1999年 p.73-79)。

生物学者や画家が長生きなのは生物学のネオテニー幼形成熟)で説明できるという竹内氏の言説に対し、山本氏はそもそも生物学者が長生きという統計があるのか、と疑問を呈し(というよりおちょくり)ている。山本氏の結論は以下。
<要するにこの人、深い考察や実証などを無視し、その場その場の思いつきで書いているだけなのである。>(『トンデモ本の世界』p.79)

 

竹内氏がメジャーデビューして四半世紀以上。21世紀も5分の1が過ぎようとしている今、竹内氏はなにを語っているか。

<竹内 女に限らず、動物のメスが見る男(オス)の質の良さとは実は生存と繁殖に関わる問題、つまり免疫力の高さなんです。>(正論7月号 p249)

<竹内 女にとって男の魅力とは、ルックスや声がいい、音楽の才能がある……これ全部免疫力に関係するものですよ。>(同 p.250)

<竹内 人間も動物である限り性行為が重要なことはお話ししたとおりで、「人間は他の動物より高等だから」なんて考えると本質を見誤る。男が女にちょっかいを出すことは昔からあり、場合によっては人間同士のコミュニケーションの潤滑油にもなってきた。>(同 p.254)

あいも変わらず、動物のオスとメスの現象を都合のよいところだけつまみ食いして、人間社会に自分の好きなようにあてはめているのだ。

 

竹内氏の問題点は3つある。

ひとつは25年以上前と、まったく話に進歩がないこと。

学問というのは、25年もあれば相当進化する。

25年もあれば通信機器だって黒電話からポケベル、PHSに携帯を経てスマートフォンになる。

にもかかわらず、竹内氏のやっていること言っていることは全く進化していないのだ。

動物行動学研究家の肩書を持つのに進化は嫌いなのだろうか。

 

竹内氏は恩師日高敏隆氏との対談本『もっとウソを! 男と女と科学の悦楽』(文藝春秋 1997年)の中でこんな発言をしている。

<竹内 (略)私、塾で小学生を教えたことがあるんです。そのときの経験からすると、あんな実験やめて、それこそ動物のオスとメスがどういうふうに相手の気を引くかとか、交尾のこととか教えたらいい。もうワイワイ大騒ぎですよ。(略)>

生物学に興味を持たせるためにオスとメスの話をし、大うけする。おそらくこれこそが竹内氏の成功体験の原点であり、そこから数十年経っても、氏は一歩も脱却できていないのではなかろうか。

竹内氏の本質が学者でも科学の啓蒙者でもなく下ネタ好きのオッサンであるということは、もう15年も前に山形浩生氏によって喝破されている。

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2つ目の問題点はより根が深い。

人間ではないある生物に関する一仮説を、自分勝手に人間社会への『ご宣託』にしてしまっていることである。
(続く)

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