学生スポーツはなぜやるのかという話。

学生のスポーツってなんのためにやるんだろうかと考えたことがある。

スポーツというのはやっている限り必ず負ける。

さだまさし的な言い方をすれば、甲子園だって3000幾つの参加チームの中で一度も負けないですむのはただの一校だけだ。

そのほかのチームは、必ず負けでその夏を終える。

 

そう考えると、学生のスポーツというのは負けるためにやるということになる。 もちろんわざと負けるということではない。

蒸し暑いグラウンドやコートや体育館での日々の練習に嫌というほどの時間と汗を流し、先輩だのコーチだの監督だのの叱責や罵倒にうんざりするほど耐え、脱水や筋肉痛や捻挫を乗り越えて試合に臨み、ねばってねばってねばって、そして負ける。

だが負けたからといって負けっぱなしとはいかない。

落ち込み悔しがりチクショウとつぶやいて、それでも明日はやって来る。

負けた翌日から、次の試合にむけての練習が始まる。

 

負けたからといって練習に出ないわけにはいかない。

負けたからといって次の試合を放棄するわけにはいかない。

思う存分落ち込んで気を取り直し、重い体をひきずって練習し、次の試合を目指す。

練習し試合して負け、練習し試合してちょっと勝ってやっぱり負け、さらに練習して試合してもう少し勝ち、それでもやっぱり99%の人は、一番最後は負けて学生スポーツ時代の幕を閉じる。

 

そうしてみんな社会人になって、それぞれの場所に立つ。

それぞれの場所でそれぞれの「試合」があって、それぞれに勝ったり負けたりだけど、負けてもやっぱり明日は来る。

 

そんなことを前もって体感するために学生スポーツっていうのはあるのではないか。

負けることを学ぶ、負けても負けても負けても負けても負けても立ち上がる、どんなに悔しくて惨めで情けない想いをしても、それでもやっぱり何度でも立ち上がることを学ぶために、学生スポーツはあったんじゃないかと思うんですよね。