衰退する社会には「虚無」の影が忍び寄る。
欧州社会が取り憑かれている「虚無」とどう対峙するかが、ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』のテーマだった。
ひとつの方法として、虚無をポジティブに捉えるというものがある。
老子曰く、〈埴をこねて以て器をつくる。その無に当たりて器の用有り〉(『無用の用』)。
壺などの器は、中が空洞だからこそなんでも入れられる。
人生も、中が虚無だからこそ何でも入れられる。人生は、虚無だからこそ意味がある、ととらえる。
しかしこれは言うほど簡単ではない。
虚無をなめるな。衰退をなめるな。
虚無も衰退も、非常にパワフルだ。
力強い衰退。
その逆に、虚無を徹底的に無視するという方法もある。
アンデスの民がコカの葉を噛みながら労働と人生をやりすごすように、くだらないジョークとポップソングを口にしながら虚無をやりすごす。
おすすめは料理で、特に一番よいのはだし巻き卵だ。
だし巻き卵は美味しいし、きれいにできると嬉しい。
あまり知られていないライフハックだが、だし巻き卵を作っているとき人は虚無から解放される。
だし巻き卵を作っている時に虚無るとすぐ焦げるからだ。
何事も極端はいけない。答えは常に、中庸にある。
虚無をポジティブにとらえるでもなく、虚無を徹底的に無視するでもない、中庸とは何か。
虚無との和解だ。
君よ、神と和解せよ。
ネコと和解せよ。
虚無と和解せよ。
江国滋の句、〈おい癌め 酌みかはさうぜ 秋の酒〉をもじっていえば、「おい虚無め 酌みかはさうぜ 秋の酒」と言ったところだろうか。
虚無と正面から闘うでもなく、無視するでもなく、同行二人のごとく時に虚無と語らい、虚無とともに人生を歩いてゆく。
まずは手はじめに、虚無のゆるキャラ化から手をつけたい。
長き旅路をともにゆくためには、やはり親しみやすいキャラがよい。
というわけで虚無をゆるキャラ化してみたので写真を添付する。愛称は『虚無たん』だ。
我ながら虚無の特徴をとらえた、秀逸なキャラだと思う。