「医者の人生はね、最初の10年は『学ぶ』、次の10年は『働く』、その次の10年は『育てる』だよ。
一人前の医者になるには10年くらいかかる。だから最初の10年は『学ぶ』必要がある。そして、一人前の医者になったら、ソルジャー、1人の戦士として『働く』。そうやって20年くらい経ったら、今度は後進を『育てる』役割が回ってくる。医者の人生というのは、そういうもんだよ」
医学生の頃、公衆衛生学の実習で成田空港の検疫所の見学に行った時に、検疫所の医師にそんなことを教わった。
以来、なんとなくその言葉が頭にこびりついている。
昔の医者のキャリアパス、大学を卒業して大学病院の医局に所属し、諸先輩がたから指導されながら『学び』、いわゆる関連病院に派遣されて『働く』、という路線から離れたのが医者9年目の時。冒頭の言葉が頭にあったせいか、なんとなく引け目を感じながら生きている。後進を『育てる』という役割を担わず、自分のことばかりやっている気がしてならないのだ。「兵役拒否者」のような気分と言えばわかる人にはわかってもらえるだろうか。
嬉しいことにこの秋、『育てる』役割の一端を担うことが出来ている。
母校より医学部5年の医学生さんを3人お預かりし、地域医療のありのままを学んでもらっているのだ。
貴重な機会を与えてくださったI先生、A先生、S先生、ありがとうございます。
『育てる』プロセスというのは、『育てる』側にも学びがある。
医学生さんから「アルコール摂取過剰でニューロパチーを起こすのはどういう病態ですか」と不意に質問されたりして慌てて確認したりと、“手癖”でやってしまっている医療を見直す良い機会となっている。
当たり前と言えば当たり前なんだけど、医学部5年といえば2000年前後生まれ。『LOVE2000』とともに生まれてきた世代だ。おいおい、2000年て、つい最近やで。
「先生、2000年頃ってもうインターネットありました?」なんて聞かれてしどろもどろになったりしている。あったと思います。
先日も医学生さんと街を移動中、沈黙もつらいしあたりさわりのない共通の話題をお互いに探して探して、
「先生、『推しの子』見てます?」
「見てる見てるー」
みたいな会話を繰り広げてしまった。
なんとなく下校中の男子中学生っぽい日々。・