『ダンダダン』を観ながら考えた。
怪異やもののけ、幽霊やオバケの類が人間に由来するものならば、なぜ人口比に合わせてそうしたものが出現しないのだろうか。
霊感なんてものは持ち合わせていないが、あの手の話は必ずひとけの少ない町や廃墟、廃病院が舞台だ。
「死んだ者の霊」みたいなことをいうのならば、多くの人が生き、そして死んでゆく大都市部のほうがたくさん怪異が生産される気がする。
だが世界中から人がたくさん集まる渋谷のスクランブル交差点や新宿で人口に比して幽霊やオバケが現れるという話はあまり聞かない。まあモノノケみたいな人が集まるとは聞くし、東京は怖いところやで。
さて、幽霊やオバケというものが人間に由来するものであるならば、人間のたくさんいるところのほうが幽霊やオバケもたくさん発生するのではないかという仮説を提示した。
しかし実際には、ひとけのないところや廃墟のほうが幽霊やオバケが出やすい(らしい)。これはどうしたことか。
思うにこういうことではないだろうか。
生きている人間が集まる場所は、生者のエネルギーが溢れている。
そうした場所では、死者のエネルギーは圧倒され抑え込まれてしまう。
死者のエネルギーが思う存分暴れ回るには、生者のエネルギーが少ない場所のほうが適している(のではないか)。
だからこそ人間は古来より、死者への弔いを盛大にやり、儀式やそのあとの会食を派手にやることにより、死者を悼むとともに死者へ生者のエネルギーを見せつけ抑え込んできたのではないか。
ひらたく言えばオバケやモノノケはいわゆるコミュ障みたいなもので、ほんとは生者と仲良くしたいのにコミュ強たる生者がキラキラとまぶしいからどう接していいかわからずキョドってしまう、みたいな。
まあ生きている人間のほうが禍々しい。
今日はこの、「オバケ・モノノケ=コミュ障説」について、オレたちがゆっくり解説していくぜ。
(以下略)