もしも願いが叶うなら、「人好きのするジジイ」になってみたい。
普通に考えて、嫌われるより好かれるほうが人生の最終章としてふさわしいだろう。
外来診療やっていると、時々「この人若い頃モテただろうなー」と感じさせるナイスシニアに出会う。
妙に人懐こいのにさらっとしていて、その人が受診したあとは診察室が明るくなるような人。
ああした「人好きのするジジイ」になるために、研究に着手した。
そう考えて書店やAmazonで『人好きジジイマニュアル』を探したのだが見つからない。まだ未開拓の分野なのだろう。
しばし考えて、「人好き」≒「(いろんな人に)モテる」と捉え直してみた。「モテ」のための本なら書店に行けば売るほどある。
「モテ」に関する文献を漁っていくとキーワードは「コミュ力」と「清潔感」らしい。
そりゃそうだろ、具体的なアクションがわからないから困ってるんだ。だいたい「コミュ力」があればXに入り浸ったりしないよと三日三晩徹夜でふて寝した。
しかしあきらめてはいけない。
さらに掘り下げて考えねばならぬ。
最後の幇間(たいこもち)と呼ばれた幽玄亭玉介氏の本を読んでいたらこんなメッセージを受け取った。
「人に惚れられたけりゃあ、まずは自分が惚れてみな」。
たしかに絶世の美男美女でもなければ、自分が他人に惚れないのに惚れられたいというのは虫がいい話かもしれない。
ストーカーのようではいけない。もっともっと、さらっと軽やかに惚れる。
「コミュ力」の源泉は他人に対する興味関心なのだろう。他人に興味関心を持てない人が「コミュ力」を身につけるのは無理とは言わぬが大変だ。
「コミュ力」は理解した。次は「清潔感」だ。
「清潔感の“感”が問題なのだ。結局、相手の捉え方次第でこんなの相手の主観じゃないか」と七日七夜徹夜でふて寝して気がついた。
「物理的に清潔だからといって“清潔感がある”と言われるとは限らないが、逆に物理的に清潔でない人が“清潔感がある”と言われることはないのではないか。つまり物理的に清潔であることは、“清潔感”の十分条件ではないが必要条件である。
まずは物理的に清潔であることを積み重ねていかなければ“清潔感”にたどり着けぬのではないか」
これはまさに天啓であった。
それに気づいてから、ぼくは毎晩寝る前に30分オートクレーブするようにしている。
また一歩、死期が近づいた。
