いわゆる“脳科学”、「最新の脳科学によれば人間とはこうだ」みたいなエセ科学のブームについて嫌悪感と警戒感を抱いている。嫌悪感と警戒感の理由については前述の通り。
さて、いわゆる“脳科学”の多くは、ごく限られた条件下の限定的な科学的発見を、恣意的につまみ食いし自分の思いつきや経験論に宣言なく無理やり当てはめ、仮説ではなく「ご宣託」として押し付けてくるものである。
では、そんな胡散臭いものがこれだけ長きに渡ってブームになっているのはなぜか。言葉を変えれば、人々はなぜいわゆる“脳科学”に心惹かれるのか。
複雑怪奇、不可解で理不尽な人間という存在や、社会というものを単純明快な「最新の脳科学」とやらでわかったものにしたいという欲求はあるだろう。わからないものをわからないまま付き合っていくのは知的スタミナを要する。それよりは「最新の脳科学」によればこうだよね、としたり顔できたほうが楽だ。
精神科医の斎藤環氏は別の見方を提示している。
“脳科学”が多くの日本人に受けるのは、〈脳が様々な問題を外在化する装置になっている〉からではないかという仮説だ。
斎藤氏は佐藤優氏との対談でこう述べる。
〈斎藤 自らにとって不都合な事象を認識した時に、それを心で受け止めようとすると、自分の内なる問題、自己責任になってしまうこともあるでしょう。しかし、脳のせいにすれば、それはまあ生まれつきなのだから自分の問題ではないんだ、ということにできる。そういう不思議な思考回路ができている感じがするのです。
佐藤 自分がこんな人間なのは、自分をコントロールする脳内分泌物のせいだ。もっと言えば、そういう脳のつくりを遺伝させた親のせいだ。だから自分に責任はない、恨むべきなのは親なのだー。〉
(〈〉内は佐藤優・斎藤環『なぜ人に会うのはつらいのか』中公新書ラクレ2022年 p.78-79)
なんでもかんでも自己責任を押し付けられる現代社会において、“脳科学”は「あなたのせいじゃないよ、ぜんぶ“脳”のせいだよ」と甘く囁く。
“脳科学”は「問題の外在化」をすることにより現代人を自己責任から解き放つ。だから“脳科学”はブームになるのではないか、というのが上掲書・上掲箇所における斎藤環氏の考えである。
“脳科学”の本質が「問題の外在化」であるとすれば、全く別の側面があるなと発見したがその話は後日。
斎藤環仮説が正しいとすると、知的良心を捨てることができれば『人のせいにする脳』という本を書いたり、あるいは「問題の外在化」にあらがうような『NOと言える脳』という本を書いたりできるかもしれない。
(続く)
