いわゆる”脳科学”批判3

いわゆる“脳科学”に対し、嫌悪感と警戒感、危惧を持っている。正直言って現在テレビや何かに出てくる“脳科学”の大半はエセ科学以外の何物でもないと思っている。


総胆管末端筋の研究で学位を取ったという春山茂雄氏の『脳内革命』(1995年)以来、いわゆる“脳科学”ブームは続いている。
なぜ“脳科学”がそれほどまでにウケるのか。


斎藤環氏は、“脳科学”は問題を「外在化」し、自己責任論から読者を解放してくれるからウケるのではないかと指摘した(前述)。
あなたが抱えている問題はあなたのせいじゃない、脳のせいだ。脳のホルモンが前頭葉がシナプスがこれこれこうだから問題は起こるのだ。あなたのせいじゃないあなたのせいじゃない脳のせいだ脳のせいだあなたは悪くないよと“脳科学”は甘く囁く。だから“脳科学”は人々の心をとらえるのだというのが斎藤環仮説だと思う。


この仮説を考えていて面白いことを発見した。
“脳科学”が問題を「外在化」し、問題は自分の「外部」にあると示すというのがここでの斎藤環仮説の本丸だと思う。
だが面白いことに、多くの読者が「外在化」された問題を「仕方ない」と思うのと対照的に、一部の読者は問題が「外」にあるからこそコントロール可能と思うのではないか。


たとえばイーロン・マスクのような人物は、問題が「外」にあればあるほどコントロール可能と考える(のではないか)。
彼のような人物は、我がことよりも「外部の問題」こそコントロール可能、解決・克服可能と考えて燃える。


そんな人たちにとっても、“脳科学”が問題を「外在化」させることで「“脳”をハックしてうまいことやろう」と意欲をかきたてられる。
すなわち、“脳科学”が問題を「外在化」させることで、「外部」の問題はコントロール不可能と思う多くの人たちも、「外部」の問題こそコントロール可能と思う少数の人たちも真逆のアプローチで“脳科学”を受け入れる。そんな構造があるのではないか。
“脳科学”は、前者には癒しと慰めを、後者には励ましとやる気を与えてくれるのだろう。


まあここらへんになってくると「理屈とポストイットはどこへでもくっつく」というヤツで、どうとでも言えるのだが、「“脳”をハックしてやろう」という見方で“脳科学”をとらえる一群がいるというのは悪くない見方だと思う。
そんじゃーね!