「ヨーロッパの人にとって服っていうのは」
ファッション業界に身を置いている友人Aが言った。
「ヨーロッパの人にとって服っていうのは、一次産業の産物みたいな感覚があるみたいなんだな。
その土地で取れる素材を使ってできる産物というのが服、みたいな感じがある。
こっちはさ、服を売る仕事というのは三次産業として捉えてるから、どうも話がズレることがあるんだな」
なるほど。
ワインでいう、テロワール、みたいなものが服の素材にもあるというわけか。
ヨーロッパ人にとって、服とその土地とは切っても切り離せないものってわけ?
「日本人にとって洋服って文化は外から来たもので、たかだか100年200年の付き合いしかない。
でもヨーロッパ人にとっては、その土地その土地から“生えてくる”ものの延長が洋服ってわけ」
なるほどなあ。
日本でも、大島紬とか、その土地と切り離せない存在だものなあ。
スーツとかも、もともとイタリアかどこかの文化なんだっけ?
ほら、映画『ニュー・シネマ・パラダイス』で貧しい子どもがスーツっぽいもの着て自転車乗り回してるみたいなシーンがあった気がするけど、あれは彼らの“民族衣装”なんだよなあ、気取ってるわけじゃなくて。
「それに比べると、アメリカ人にとって服って工業製品なんだな。二次産業の産物ってわけ。
だから彼らに“ブランド戦略として店舗展開を絞って”みたいな話をするときょとんとする。
服というのはバンバン生産してバンバン売ればいいじゃないか、みたいな感覚なんだな」
へえ、とぼくはうなづいた。
一次産業の産物としての服、二次産業の産物としての服、三次産業の商品としての服、というとらえかたは面白い。
そんな眼で街をうろうろしてみると、たとえば『しまむら』とかは一次産業の産物としての服という感じがする。
その時期に“採れた”服を鮮度のいいうちに売る。仕入れたらどかんと店先に箱ごと置いてどんどんどんどん売ってゆく。売り切れたらそれでおしまい。旬のものは旬に着るのが一番、みたいな。
これが『ユニクロ』に行くとまた違う。
精密な工業製品としての服。
顧客が期待している品質の製品を、きっちり在庫管理しながら売る。
カンバン方式さながらに、緻密な在庫管理をして、市場のニーズをおさえて売り上げを伸ばす。
ハイブランド、ラグジュアリーな服の店舗はまさにワンダーランド、エンターテイメントな三次産業だ。
店舗のコンセプトにあわせ店内の香りまでセレクトし、ドアマンにまで俳優志望、モデル志望のしゅっとした男性を配置する。
店員は皆、そのブランド世界の“キャスト”として客をもてなす。
ちょっとしたアイディアで世界の見え方は変わる。
もっとも、門外漢ゆえここで書いたことはピント外れかもしれないのでご容赦ください。
