〈学生は 短距離走で ポスドクは
マラソンだから 夜は帰るよ〉
生化学者で歌人の永田紅氏の短歌だ(三枝昂之『百年の短歌』新潮選書 2025年 p.49)
維持可能、持続可能な働き方、生き方というものを考えている。
なにしろ人生100年時代、100歳まで生きて「しまう」かもしれない時代、人生はまるでウルトラマラソンのようになった。
1881年にビスマルクが年金制度を作ったとき、70歳を定年としたが、そのときのドイツの平均寿命はおよそ40歳だったという(①)。平均寿命をはるかに超える人はほんの一握りだから、そりゃあ年金制度は成り立っただろう。
時は流れ、幸いなことにいわゆる定年を超えて日本人は生きられるようになった。
だが生きていくのに金は必要なので、なんとかかんとか働かねばならぬ。
ゴールの見えないマラソンを、できるだけ倒れずに走らなければならない。
維持可能な働き方、生き方を模索しなければならない。
思うに、リタイアする年齢が見えているのなら、毎日は無限に働いてもよいのかもしれない。
たとえばだけど、「60歳でリタイアするからそれまで思いっきり働こう」みたいな。
反対に、リタイアする年齢が見えていないなら、毎日はリミットを決めて働いたほうがよいのかもしれない。
「いくつまで働くかわからないから、倒れないよう毎日は限度を決めて働こう」という行きかたである。
エミネムもレコーディングの時には時間が来たらきちんと休憩を入れるそうだし、秋本治先生が40年間1度も休載せずに(!)『こち亀』を描き続けたられたのも淡々とペースを守って描いたからではないだろうか。
100年生きるウルトラマラソンに、波瀾万丈は禁物なのかもしれない。
①
世界的に寿命が延びているけれど、「理想の定年退職」の年齢は何歳? | クーリエ・ジャポン
