趣味としての語学学習。

趣味としての語学学習、というものを考えている。
ここに1人の男がいるとする。
たとえば彼が、ギター教室に通うと言ったらどう思うか。
「へー、いいんじゃないの。楽しんでね」と言うんじゃないだろうか。
決して、「今からギター習ってもモノになんの?ギタリストになんかなれない」とは言わないと思う。
あるいは彼が、NHKで『趣味の園芸』を観てるとする。
やはり「楽しんでね」と言うと思う。
決して、「今から園芸やってもモノになんの?庭師になれるわけないじゃん」とは言わないだろう。
だがしかし、語学となると世間はとたんに厳しい。
たとえば彼が、フランス語教室に通うと言ったらどうなるか。
「今からフランス語やってモノになんの?しゃべれるようになるわけないじゃん」みたいなことは平気で言われる。
なぜだか日本人は、語学学習について非常に厳しく、自分にも他人にもハードルを上げてくる。
だがしかし、習い事というのは初めの数パーセントが一番楽しいのだ。
ギターを習って『スモーク・オン・ザ・ウォーター』のリフが弾けるようになった時が一番楽しいし、『趣味の園芸』みて何かを植えて芽が出た時が一番楽しい。
そこから先はだんだんとつらくなる。
でも趣味だから、一番楽しい初めの数パーセントだけやったっていいのだ。
だって、趣味だもの。
それと同じことを、語学学習でやってもいいのではないか。
「ボンジュール」と「サヴァ?」と「オールボワール」だけを延々と、しかし嬉々として話すくらいの、趣味としての語学学習。
一番最初の数パーセントの、一番楽しいとこだけやるやつ。だって、趣味なんだもの。
駅前留学の英語教室とかでは、講師が毎回変わるから毎回自己紹介で終わったりする。
ガチ勢からはバカにされるが、あれはあれで良いのではないか。
他言語を発音するときのトキメキは、ギターで『スモーク・オン・ザ・ウォーター』のリフをかき鳴らす喜びと等価だ。
日本語の発音では使わない唇や喉の動きを習得する楽しみと、ギターのチョーキングを身につける楽しさは同じだ。
そうやって趣味の語学学習というものが広がれば広がるほど、結果的に異文化理解も進むというものだ。
何事も、頂きを高くしたければ裾野は広い方が良いのである。