【人はなぜ働き過ぎ、ツイ廃となり、そして肉を焼くか】
人はなぜ時に働き過ぎ、Twitterをやり過ぎ、そしてBBQで肉を焼くのか。そこに共通の行動原理はあるのだろうか。
その答えは、「反響への欲求」だ、たぶん。
精神科医、神谷美恵子氏は、人間の心には「反響への欲求」があるという(『生きがいについて』みすず書房二〇〇四年p.63-66)。
神谷氏は、長期療養所に暮らす人々の診療の中で人間の「生きがい」というものを見つめてきた。
その中で、人間の生きがいの構成要素の一つに「反響への欲求」があるとした。
人間は他者との共同生活を送っており、分業と協業を行って生きている。このため、〈自己の生存に対する反響を求めるということは、人間の最も内在的な欲求と考えられる〉と氏は書く(p.64)。
もちろん働くのは食うためだ。
有史以来、ほとんど全ての人間は、食うために働いてきた。そこをないがしろにしてはならぬ。
だが食うだけのものを稼ぎ出したあとに、他者からの反響を求める心が動き出す。
自分がやった仕事で他者が喜んでくれる、そんな「反響」を求めて、時に人は働き過ぎる。
だから、死ぬまで使いきれないほどの富を持つ者も、仕事をやめない。ほんとは人によるけど。
ツイ廃もしかり。
なぜ彼らであり我らであるツイ廃はこのTwitterに入り浸るのか。
他者からの「反響」が得られるからだ。
匿名であっても執拗にtweetしつづける人の気持ちを、この「反響への欲求」という言葉は「自己承認欲求」という言葉よりもよく表してくれる。
神谷氏は言う。
〈時には他人を憎むことや、うらむことや、他人に復讐することに生きがいを見いだしているように見える人がいる。〉(p.65)
だがこれすらも〈反響への欲求の一変形〉なのだ(同ページ)。
だから攻撃的なこと、侮蔑的なことを投げかけてくるアカウントは、反応しないのが一番ということになる。彼が望む「反響」を与えない、ということだ。革命家気取りのテロリストの名前や動機を一切報道しないという対応策のように。
そしてまた、この「反響への欲求」という概念は我らがなぜゲストのためにご馳走を用意するか、おじいちゃんやおばあちゃんが孫に何かプレゼントをあげたがるのかも説明してくれる。相手の喜ぶ顔が見たいから。こうした行為もまた、「自己承認欲求」という言葉よりも「反響への欲求」という言葉のほうがよく理解できる。
おじいちゃんやおばあちゃんが孫にプレゼントを贈りたがるのは断じて「自己承認欲求」からではない。
あなたの喜ぶ顔、という「反響」を求めてのことなのだ。
だからもしおじいちゃんやおばあちゃんがあなたに変わったデザインのセーターをプレゼントしたとしてもがっかりしてはいけない。
そのかわりその変わったデザインのセーターの画像をTwitterにアップするのだ。
大反響が得られると思う。
Ciao.
