村上春樹氏は長編小説を書く時、1日の執筆量を原稿用紙10枚と決め、調子が悪くても10枚は書くようにしているという(①)。そして調子が良い日もまた、原稿用紙10枚ほどで切り上げ、それ以上書き続けることはしないそうだ。
ラッパーのエミネムもまた、レコーディングの時には毎日9時にスタジオに来て、13時に昼休憩を取り、17時ぴったりにはスタジオを出るという(②)。
さらに例を挙げる。 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』作者の秋本治氏は自分のマンガ制作の会社「アトリエびーだま」の勤務時間を9時から19時、途中食事のための休憩を1時間ずつ取り、残業はなるべくせず、徹夜はしない、と決めている(③)。
漫画家やラッパーといえば、創作の神の命ずるまま夜も昼もしっちゃかめっちゃか、時には三日三晩徹夜する、みたいなイメージがある。 しかし少なくともこの3人は違う。
この3人の共通点は何か。
質の高い作品をコンスタントに、息長く作り続け世に出しているということだ。
そのためには、こうした判で押したような創作スタイルが向いているということなのだろう。少なくともこの3人にとっては。
100kmの距離を24時間以内に歩き切るというイベントに参加したことがある(本当)。
その際に僕らのチームが取った戦略は、1時間に5キロのペースで歩き続けるというものだった。
時速5キロより早くもなく、遅くもなく。5キロ歩くごとに5分休憩を取る。
合計20キロ歩いたらその時の休憩は少し長めに。 5キロ×20回で100キロ。 20時間+5分×19回プラスアルファで24時間以内。
実際、ぼくらは22時間30数分でゴールした。
淡々と、積み上げてゆく。 そうした行為は、僕らをずいぶん遠いところまで連れて行ってくれる。
村上春樹氏は自らを「長距離ランナー」にたとえ、淡々と書いてゆくことを「煉瓦職人が煉瓦を積む」ことに例えている(④)。
淡々と淡々と、ムラなく無理なく日々を積み重ねてゆくこと。そんな仕事の仕方は、クリエイターではない我々に取っても学ぶべきところがある。
なんといっても人生100年時代、我々は出来るだけ倒れることなくこの人生というウルトラマラソンを走らなければならない。
だがほかにも、こうした淡々と決まったやり方で創作をする方法は、クリエイターにとってはさらなる効用があることを発見した。 厳密にいえば仮説だが。
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メイソン・カリーの『天才たちの日課』(フィルムアート社2014年)によれば、そういった決まり切ったペースで創作や仕事に取り組む天才たちは少なくない。
チャールズ・ディケンズも午前9時から午後2時までを仕事時間と決めて、そのあとは3時間の散歩を日課としたそうだ(上掲書p.243)。
インスピレーションのおもむくまま、時間も日にちもしっちゃかめっちゃかなクリエイターもいる一方、こうした決まり切ったペースの創作活動は、クリエイターにとって3つの利点があるように思われる。
“枯渇の回避”、“行きの保証”、“帰りの保証”である。
秋本治氏はこう書いている。
〈こうして時間の使い方を規則正しくすると、思わぬ副産物もあります。社会や人との付き合いもきちんとできるようになるのです。〉(⑤)
クリエイターは孤独な仕事だ。
インスピレーションの赴くまま、時間も日にちもぐちゃぐちゃな創作スタイルだと、他者と約束がしづらくなる。
しかしアイディアも仕事の依頼も、究極的には他者からもたらされる。
だからきちんと決まり切ったペースで仕事をすることで他者との接点を保ち、アイディアや仕事の依頼が外から入ってくるチャンネルを開けておくことは、アイディアや仕事の枯渇からクリエイターを遠ざけてくれるのではないか。
決まり切ったペースで仕事をする別の利点は、物語世界との往来である。
現世を生きながらイマジネーションの世界と行き来するのは容易ではない。
イマジネーションの世界に“行く”ための儀式として、ある種のクリエイターには決まったペースで仕事をすること自体が効いてくるようだ。
〈二〇〇四年の『パリス・レビュー』で村上はそう語っている。「繰り返すこと自体が重要になってくるんです。一種の催眠状態というか、自分に催眠術をかけて、より深い精神状態にもっていく」〉(⑥)
繰り返すことでマントラが修行者の精神状態を深いところに連れてゆくように、決まったペースで仕事をするやり方を繰り返すことで、イマジネーション世界への旅は始めやすくなる(ようだ)。
そして、旅というのは行ったら必ず帰ってこなければならない。 帰ってこない旅はただの失踪や遭難、神隠しだからだ。
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タイムカードを押すように、決まり切ったペースで創作活動をするクリエイターがいる。
朝起きてコーヒーを「温め」、決まった時間になると机やスタジオに向かい、調子が良くても悪くても定時まで創作する。そのあとは運動したり社交したり。夜が来たら寝る。翌朝はまた同じ時間に起きて同じことを繰り返す。
破天荒で型破りなクリエイターという通念からはあえて離れ、まるでサラリーマンのように型にはまったこうした創作スタイルには、いくつも利点があるように思える。
ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』の主題は、「2つの世界を行き来する者が、両方の世界をすこやかなする」ではなかったか。
2つの世界。現実とイマジネーション。
現実にまみれるだけでは心が荒む。
しかしイマジネーションの世界にだけ生きるのも危険だ。帰って来られなくなる。
創作活動は、イマジネーションの世界、精神世界に潜り何かを持ち帰り、それを作品の形にして現実世界に落とし込む。 イマジネーションの世界に耽溺しているだけではクリエイターとは呼ばれない。夢想家だ。
ぼくはクリエイターではないので本当のところはわからないが、このイマジネーションの世界に潜るという行為は危険を伴う。
端的に言えば、イマジネーションの世界に精神が侵食され、おかしくなるリスクがある。
カズオ・イシグロは『日の名残り』をカンヅメになって執筆している時、ちょっとおかしくなっていたようだ。
〈日曜になり、初めてのオフの日で外に出た私は、シデナム通りが坂になっているので下りてくる人々はつんのめり、上っていく人々は息を切らしてよろめいていると言って、くっくっと笑い続けていたそうだ(略)。〉(⑦)
ホラー作品を書いている時にはクリエイターはしょっちゅうポルターガイスト現象にあうみたいだし、ギャグ漫画家は数年で精神に変調をきたすとよしりんセンセが描いていた。
誰かの尊厳を踏みにじるのは避けたいので名前は挙げないが、SFの大家であっちの世界に取り込まれてしまったような人は日本にもいるし、経緯は知らぬが海の向こうには科学と宗教の融合をかかげたような教団を立ち上げハリウッドセレブを魅了している人もいる。
有名な文学賞を取ったがその後は精神世界へのダイブを選択した作家のことを、上原隆が書いている(⑧)。
『はてしない物語』の中でも、あちらの世界を訪れたまま帰れなくなった人たちがいるようなことが示唆されていたように思う。
豊潤で実り多いイマジネーション世界への旅は、戻ってこられなくなるリスクをはらんでいる。
そうした戻ってこられなくなるリスクを管理し、“帰ってくる保証”とするためにも、厳格にスケジュールを管理し、強制的に旅から自分の魂をログオフすることは有効なのではないだろうか。
もちろんインスピレーションの赴くまま、スケジュール管理も朝も夜もなく創作に打ち込むスタイルにも利点はあるのだろう。多くのクリエイターがそちらのタイプのようだし。
だがまあそれは、また別の物語。
それじゃまた。 良い旅を。
①村上春樹『職業としての小説家』新潮文庫 2022年 第六回 kindle版115/264
② https://hiphopdna.jp/news/7630
③秋本治『秋本治の仕事術』集英社 2019年 p.064-066
④『職業としての小説家』kindle版111/264,197/264など
⑤秋本治『秋本治の仕事術』集英社 2019年p.070)
⑥メイソン・カリー『天才たちの日課』フィルムアート社2014年 p.97)
⑦クーリエ・ジャポン2015年2月号『世界の人はこんな本を読んでいる。』p.52-53 カズオ・イシグロ記事「私はなぜ『日の名残り』を4週間で書けたのか」より。元記事はイギリスの『ザ・ガーディアン』紙に寄稿されたもの。
⑧上原隆『友がみな我よりえらく見える日は』幻冬舎アウトロー文庫 平成11年p.85-101
