時代の空気感というものは、あっという間に忘れ去られてしまう。
驚くほど。
あっという間に。
ある時、「昔は甘党男子はバカにされて肩身が狭かった」と言ったら信じてもらえなかった。
「落語に『まんじゅう怖い』ってのもあるし、そんなの嘘だよ。男の人だって堂々と甘いものを食べてたはずだ」
と言われてしまい、嘘つきよばわりされてしまったのだ。
「ほんとだよ。ぼくが子どものころは甘党男子は迫害されてたし、プテラノドンも飛んでた」と言ったが信じてもらえなかったのは今でもトラウマとなっている。
1987年に発表された梶尾真治の作品、『チョコレート・パフェ浄土』から引用する。主人公は38歳男性、2人の子供がいる。
〈子供が園内のレストランに私を誘った。私はアイス・コーヒーを、子供たちは、チョコレート・パフェを注文した。それが、チョコレート・パフェを間近で眼にする初めての機会だった。名前は知っていた。女学生や、若いOLが喜んで口にする軟弱なイメージのデザートということは、おぼろげにわかっていた。〉
子供たちが食べ残したチョコレート・パフェがもったいないので主人公は食べてしまうことにした。
その瞬間、衝撃が走る。
うまいのだ。
〈チョコレート・パフェがあんなに魅力的で悪魔的な食べものだったとは。だが……、大の大人が、フルーツ・パーラーで注文できる食べものだろうか。いや、ちがう。女学生や若いOLや子供たちの独占物なのだ。〉
主人公はチョコレート・パフェに魅了され、チョコレート・パフェが食べたくて食べたくて食べたくて仕方がなくなる。だが大の大人が一人でパフェを頼むのは恥ずかしい。でも食べたい。食べたくて食べたくてたまらない。
主人公は意を決して喫茶店に飛び込む。
必死の形相で。
〈「チョ・チョ・チョ……チョコレート・パフェ」注文した。吃っていたかもしれない。私はウェイトレスの顔を盗み見た。薄笑いを浮かべている。や、やはり中年男が、チョコレート・パフェを注文するのは恥ずかしいことなのだ。〉
(〈 〉内、梶尾真治『チョコレート・パフェ浄土』ハヤカワ文庫 一九八八年)
物語はこのあと、予想もしない展開になるのだが、それは各自確認されたい。
時代の気分、時代の空気感というのは、ほんとうにあっという間に忘れ去られてしまう。
新型コロナが世に現れて未知のウイルスに世界中がおびえたのはたかだか6年ほどまえなのに、あの時に世に蔓延した閉塞感や絶望感は忘れ去られた。ワクチンが開発される前は、コロナに感染したら死刑宣告を受けたようなものだった。今となっては信じられないが。全ては、忘れ去られる。
これが人の世のレジリエンスかとも思うし、結局のところその時代のことはその時代に生きた人にしかわからないということなのかもしれない。
それぞれの時代の気分、空気感を後世に伝えたりするには書籍にして残すのが一番いいのだろう。
ウェブ上に残すのもいいが、ウェブ情報は時に一瞬で消えるし、後からいくらでも書き変えられる。
そこらへんもやはり紙の本には優位性がある。
それはそうと、チョコレート・パフェのことを書いていたらチョコレート・パフェの口になってきた。
甘党男子が迫害されない令和の時代に感謝しつつ、ちょっとチョコレート・パフェ食べてくる。
コーンフレークがデカい顔をしていたらただでは済まさぬつもりだ。
