”爪あとを残す”と小ネタ主義。

「懇親会とかパーティーとかあるじゃん?
ああいう時、オレは必ず“爪あとを残す”つもりで行く」
ある時、友人のドクター・ゴトーが言った。

どういうこと?
ぼくが訊く。

「懇親会とかパーティーとかにさ、教授とか院長とか、とにかく偉い人が来るじゃない?
そういう時に前もって、“今日はあの教授にあの話題をしてみよう”とか“あの院長と会ったらこの話を振ってみよう”って決めておく。
それで懇親会とかパーティーに行くまでに、必ず話題とか話のネタを仕込んでおくんだ。

そういう懇親会やパーティーで、教授とか院長とかと会話できるのってたかだか数分〜10数分じゃない?
その数分〜10数分で相手の印象に残るよう心がけて、前もってネタを準備するようにしてるんだよ」

正直言って目からウロコであった。
仕事上、そうした懇親会やパーティーとかに参加する機会はあるが、そうした心構えで参加したことは一度もなかった。
その結果いつもそうした懇親会やパーティーでは薄ら笑いを貼り付けてうろうろし、気づけば数分おきに数mlずつアルコールを口に含みながら「早く終わらないかな」とだけ思いながら過ごすことになる。

「外国人のいるパーティーで日本人はひたすら黙っている」のはなぜか、ということについて斎藤兆史先生と齋藤孝先生はこう結論づけている。
すなわち、ネタが無いから。

〈兆史 パーティーやセミナーに出るなら、相手に認められるくらいの小ネタを用意し、英語で話せるように暗誦しておく。そして、ここぞというチャンスがあったら、そのタイミングを逃さず小ネタを披露する。こういうトレーニングが必要です。(略)〉
(齋藤孝+斎藤兆児『日本語力と英語力』中公新書クラレ 2004年 p.128)

他国語主体のパーティーとかで壁の花になる経験をした人は少なくないと思う。
あれは語学力の問題(だけ)ではなく、話すべきネタを準備していないせいなのだ。

母国語での会話であれば、臨機応変に脳内の話題ストックから話題を取り出して会話をつなげることができる。これは多くの場合、無意識に行われる。
だが他国語での会話では母国語と他国語の変換にエネルギーを取られるため、脳内の話題ストックから無意識に話題を取り出すところにエネルギーを割くことができない。そして、壁の花と化す。
そこの部分を事前にやっておいて、話題、小ネタを他国語で準備しておくことにより壁の花からパーティーの花になる、というのが斎藤兆史先生の“小ネタ主義”である。

この“小ネタ主義”を母国語でもやろうというのがドクター・ゴトーの“爪あとを残す”という心構えである。
ほんとうに目からウロコだったので、ぜひともマネしようと思う。

それにしてもゴトー先生はまだ来ないな。そろそろパーティーが始まってしまう。
エストラゴンとヴラジミールはもう待ち合わせ場所に着いているみたいだが。
そのうち来るだろうから、もう少し待ってみるか。