映画『マトリックス』1999年公開から18年後のネオ、トリニティ、モーフィアス役の三人の写真というのをネットで見つけた。
そもそも前々からマイノリティーに優しい映画とは思っていたのだ、『マトリックス』。
主人公のネオ(キアヌ・リーブス)は黒髪・細身のやさ男で、モーフィアスはアフリカ系。トリニティーもスレンダーの黒髪だし。
1作目から18年! 3人そろったキアヌ、キャリー=アン、ローレンス Todd Williamson / Getty Images - 最新芸能ニュース一覧 - 楽天WOMAN
あれから18年かー。3人とも変わったけど、一番変わったのは監督のウォシャウスキー兄弟だ。
なにしろ二人とも性転換して、今やウォシャウスキー姉妹である。
そんなことを思っていたら、ある仮説が心に浮んだ。
ウォシャウスキー姉妹の心の葛藤が、『マトリックス』の世界観に及ぼした影響についての仮説だ。
そもそも前々からマイノリティーに優しい映画とは思っていたのだ、『マトリックス』。
主人公のネオ(キアヌ・リーブス)は黒髪・細身のやさ男で、モーフィアスはアフリカ系。トリニティーもスレンダーの黒髪だし。
超典型的なアメリカ映画のイメージだと、金髪碧眼でマッチョな、ジョンとかチャールズとか言うピカピカのWASP的な主人公とこれまた金髪碧眼で「出るとこ出てます」系体型のか弱いヒロインを、いいやつだけど主人公よりはちょっと単純なアフリカ系の脇役とかオタクちっくなアジア系を従えて大暴れ、とかなりそうだけど、それとは全然違う構図で。今どきそんな超典型的な映画があるのかはしらないけど。
作家の人間性と作品の内容をイコールで考えるのは間違いだというのはわかっている。
とんでもない悪人が心温まるハートウォーミングストーリーを書くことだってあるし、その逆もありだ。自分の経験したことしか書けないとなると、赤川次郎は大量殺人鬼になってしまう。
しかしそれでも、作者の経験というのは作品ににじむ。
トランスジェンダーの自分にとって本来の性である女性性を押し隠しつつ社会から与えられた性=男性性はどんどん肥大化し、そちらが現実になっていく葛藤。
真の姿を現したときには、社会から抹殺されるだけでなく、肉体すらも滅ぼされるかもしれないという恐怖(GIGAZINEインタビューでは「アメリカでは、トランスジェンダーが殺人事件の被害者になることも多い」と語っている)。
真の姿を現したときには、社会から抹殺されるだけでなく、肉体すらも滅ぼされるかもしれないという恐怖(GIGAZINEインタビューでは「アメリカでは、トランスジェンダーが殺人事件の被害者になることも多い」と語っている)。
そんな葛藤やひりひりする恐怖感、それでもなお真の自分でありたいという決意が、<覚醒せよ><たとえ現実の姿のほうがみすぼらしくてみじめだとしても、虚飾に満ちた仮想現実からプラグを抜け>という映画の世界観に反映しているのではないかと思った次第。