歳をとったせいか、最近なぜか涙もろい。
人の言葉に涙し、ネットの何気ない書き込みで涙し、雑誌のちょっとした記事に涙し、なんてことのないヒットソングの一節で涙する。
歳をとると涙腺が緩むと聞いたことはあったが、一体全体どういうわけだろう。
こどものころは誰も皆、心に思ったままを素直に表現することが出来た。
意味もなく駆け回り、追いかけっこをするだけで心から笑うことが出来たり、転んでひざを擦り剥いて、親の気を引くために大げさに泣いてみたり。
ところが歳を取っていくにつれ、そうそう泣いてばかりもいられなくなる。
笑うにしたって、隣を横目でのぞきながら、「今ここで笑うべきだ」とばかりにタイミングを計ってからだ。
怒るときだって相手の感情を慮って、調節しながら怒ってみることもある。
なにしろおとなの世界では「感情的」というのはマイナス評価なのである。
ところが他人に受け入れられるために、上手に感情という荒馬を乗りこなし、手綱を操っているつもりの理性からして、荒馬なしでは身動きがとれないのだ。
自分の行動の方向をきめるのは理性かもしれないが、行動の原動力はやはり人間らしい感情なのだ。
そんなわけで涙と呼ばれる、自分の中の感情の地下水が、ふとした瞬間に地を割って溢れ出すようになる。
歳を喰うとその地下水がいともたやすく噴き出すみたいだ。
理性的に振舞おうと感情を押さえつければ押さえつけるほど、倍する力で感情が押し返す。
長年の無理で金属疲労を起こし、もろくなった理性の地面の割れ目から、ふとした拍子に涙が湧き出す。
それにしてもいったいいつからこんなに涙腺が弱くなったのだろう?
年末年始はそんなことはなかった。
つらつら考えると、ここのところ急激に涙もろくなってきた。
春。別れの季節。
思えば春が見え始めてからふとしたことで涙目になるようになった。
嬉しくなれば泣き、悲しければ泣く。
時には自分で理由すらわからないのに涙があふれることもあった。
そしていつでもそばには美しい花々が静かに咲いていた。
いつしかぼくは花を見るだけで涙があふれるようになった。
そしてまったく不思議なことに、どういうわけか、スギの樹を見ても涙がこぼれ、くしゃみや鼻水が止まらなくなるのだ。
(hirokatz.tdiary 2002年11月25日を加筆再掲)
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