SNSは承認欲求を肥大させ、そして同時に承認欲求をやせ細らせる。

SNSは承認欲求を肥大させ、そして同時に承認欲求をやせ細らせる。

 

SNSが承認欲求を肥大化させる問題は、しばしば指摘されてきた。 SNSでの承認が欲しいばかりに人はバイト先でアイスケースに横たわって写真をアップしたり飲食店での問題行動を動画に上げたりして失敗する。

しかしもう一方の、SNSが承認欲求をやせ細らせる問題はあまり指摘されていない。

 

前提として、適度な欲求や欲望は行動のエンジンであり、適度であるかぎり欲求や欲望は好ましいものと考える。

食欲があるからこそそれを満たすために我らは働き社会参加する。

もし人間が葉緑素を持っていたら、人間はわざわざ汗水垂らして働かず日がな一日ひなたぼっこして暮らすだろう。いいなそれ。

 

食欲などなどの欲望があるからこそそれを充足させようと我らはあがく。

承認欲求もしかりで、承認欲求を満たすために「も」我らは社会的活動をする。

 

さてここで問題が一つ。

承認欲求を満たす、他者からの承認にも「量」と「質」がある。

そして、ダニエル・カーネマンがいうところのシステム1は、他者からの承認の「量」は認識できても「質」は認識できないっぽいのだ。

 

滋養あふるる料理ではなくジャンク・フードでも手軽に空腹は満たされるように、承認欲求もまたインスタントな他者からの承認でも満たされてしまう。

承認欲求を満たすために「も」、学者は論文を書きビジネスマンは売り上げを上げ、それぞれの職業仲間から承認を得る。そうやって良質な承認を得ようとして前に進んでいく。

しかしSNSで指一本で承認がお手軽に大量に得られる時代になると、わざわざウイルスの研究に打ち込んでうんうんうなりながら論文書いて世に問うよりも、エキセントリックな言説でSNSの人気者になったほうが早い。

 

SNSによる承認欲求のインスタントな充足という問題は、目に見えにくい。

SNSによる承認欲求のインスタント充足とそれによる社会の停滞という問題を認識し、人間社会はただちに対応すべきだろう。

そして我々一人一人がこの問題を意識し、安易な他者からの承認を求めることのないように広く呼びかけたい。

 

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