【ツイートの寄せ集めです。備忘録として】
・90年代はテレビや雑誌とかのメジャー系大資本の力が強くて、レコード会社が「このバンド推して」といえばそればかりかかる(イメージ)。
そこのカウンターとしてアメリカとかではカレッジラジオ、カレッジチャートとかいって「いま本当に大学生の間で流行ってるのはこっち」とやった。REMとか。FM横浜で朝、「カレッジチャートジャパン」とかやってましたね。柳屋クインテット今も大好きです。
日本では深夜番組とかでちょろっと流すくらい。You The Rockのナイトフライトとかもこの系譜に乗るのかなあ。
マスコミとかの“メジャー側”の中の、心ある人と組んでマイナー側、サブカル側がゲリラ戦を挑んで相手側の情報インフラ乗っ取って海賊放送しかけてゆく感じ。
だからカウンターとして肩肘張って「メジャーはダセェ」って旗印立てて連携していく必要があった。
いまだとイメージしやすいのは、ネット文化が「テレビはオワコン」「マスゴミ」と肩肘張って過剰にdisることで自分達のエッジを立てて存在証明する感じと言えば伝わるだろうか。
・加藤ミリヤとか青山テルマとかとコラボした童子-Tもめっちゃ「セルアウトした」ってdisられてたから、「セルアウト」=ダサいという価値観は少なくとも2005年くらいまではあったはず。
いまそういうのは無いすね。
・「売れ筋」=「セルアウト」=ダサい、みたいな価値観が無くなってきたのは2000年代後半かなと思ってヒット曲ランキングで確認したら、2007年頃から嵐やらKAT-TUNが台頭、2010年はAKB旋風が吹き荒れて、なんというか「ヒット」と「アーティスト性」は完全に別物としてみられるようになったのだろう感
・「売れたからといってセルアウトではない。アーティスト性の高い曲でも良い楽曲は売れるし、売れるべき」という価値観になったのは2018年の米津玄師『Lemon』以降ではないかという仮説を提示。
・90年代の「メジャーはダセェ、サブカルは知的でオシャレ」みたいな空気感をちょっと感じて見たければ渋谷直角『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』を読んでみてはいかがだろうか。共感性羞恥で死にたくなる。
・て書いたけど、Sotte Bosseが2006年からだから、やはり作品は2000年代後半が舞台ですね。とすると2000年代後半はまだ「サブカルは知的でオシャレ」みたいなのがあったということでしょうか。
・てことは2000年代後半はビレヴァンはサブカルサンクチュアリだったということか。
・あとねー、「メジャーは商業主義でダセェ」みたいな空気感を味わいたければ狩撫麻礼・作、たなか亜希夫・画の名作『迷走王ボーダー』を読んで人生狂わせていただきたい。
・近田春夫氏とかは「こんな日常風景やこんな日本語をロックに乗せられるんだ!」と『考えるヒット』か何かで褒めてた記憶。日本語でロックできるか否かという長年の日本音楽史へのファイナルアンサーがB'z。
ぼくも90年代は敬遠してた側ですが。
・ノスタルジーもあるんですが、90年代に流行りモノ敬遠してた1人として、「流行りモノ」という部分が風化して、楽曲そのものの良さとかシンガー、ギタリスト、パフォーマーそのものの凄さと素直に向き合えるようになった気がします。
90年代は「チャラいメジャー」vs「ディープなコア、アングラ、マイナー」みたいな構図がありました。
・うろ覚えですが、近田春夫氏(だったと思う)、「店が終わったあと、夜のオネエちゃんの家に遊びに行ったら、明け方に『B'zってバンドの曲、いいよ』ってCDかけてもらって、『こんな日常風景でこんなロックができるのか!”と衝撃を受けた」みたいな話だったと思う。
日本語でラップができるのかとビブラとかで真摯に実験した近田春夫氏ならではの視点。
・「日本語はロックに向いていない」論争、詳しい方なら“はっぴぃえんど”あたりから話せるのでしょうがそこまで詳しくないので。
「日本語はロックに向いていない」論争を完全に過去のものにしたのもB'zなのでしょう。
・洋楽ファンからすると、90年代当時は「B'zのあの曲って洋楽のアレのパクリだよね」という指摘は鉄板の話題でしたね。ぼくも『B.I.G』は名曲と思いつつ「これって『People Get Ready』だよなあ」と思いながら聴いてます
・「パクリ、オマージュ、リスペクト」問題は深くて、情報の受け手側がヒップホップのサンプリング文化に親しむようになったこと、またイカ天文化やネット文化で誰もが表現者になるようになり、受け手も表現者側(メシが食えるかは別)やるようになって、「表現ってゼロからは生まれなくて、先行作や既存の表現の模倣やコピペ、サンプリングから始まるよな」と体感するようになったのが90年代との違いではないかとにらんでおります。
・あ、あとコスプレ文化とかもあって、「パクリとか言われてもいい、俺たちはエアロスミスになりたかったんだ!!」みたいなパッションも受け入れられるようになったのかも。
・1999年の宇多田ショックとそれに続くR &Bディーヴァムーブメントから2018年米津玄師『Lemon』までの期間にアーティスト色の強い音楽が好きな人たちの中で何があったかつらつら考えてたんですが、たぶんあれですね、夏フェスムーブメントですね。アーティストはフェスで稼ぐ時代みたいな感じだった(のでは)
・もうさー正月早々、「B'zはダサかった/ダサくなかった」論争延々やってるのも不毛だからこれでもう手打ちにしようよ。
それじゃお手を拝借。
じゃいくよ!せーの!
そしてーかーがーやーくー
ウルトラソウッ!